施主=帝国石油株式会社
施工=宇佐美建設株式会社
軌条・車両等提供=電鉄商事株式会社
軌間=610mm
【主な在籍車両】
ニチユ製バッテリー機関車
耕運機改造機関車
横開き土運車 7両
平トロ 3両?
【概要】
宇佐美建設都賀工事用軌道(以下都賀軌道と称します)は、
かつて千葉市西都賀に存在した帝国石油株式会社の関連施設と、
千葉港を結んでいたパイプラインを撤去するために敷設されました。
このパイプラインは使用されなくなって久しく、
大半が撤去済みで、一部が残されていたという状況だったようです。
工事個所は当時、水田もしくは耕地、荒地などでしたが、
宅地開発の計画があったため、埋設されている鉄管の撤去が求められました。
工事は埋設されている鉄管を掘り出して搬出し、
土を入れて埋め戻すという内容です。
現場は軟弱な地盤ゆえにトラックが乗り入れることは不可能だったため、
運搬手段として軌道がチョイスされたということでした。
軌道の敷設は『軌匡』を用いて行われました。
軌匡とは、軌条と枕木を予め組み立てておく簡易線路で、
工事現場などで一組ずつ繋いで延伸してゆくシステムです。
工事軌道、森林鉄道の伐採線、畑の収穫線など、
一時的に線路を敷設~撤去する場合に活用されていました。
簡単に言うと、模型の道床付き線路みたいなものでしょうか…
都賀軌道の軌匡は3kgくらいの細い軌条、丸太の枕木が使われました。
まるっきり製材されていない丸太の枕木が、
この軌道の風情に大きく影響したと思います。
そんな丸太軌道で活躍したのは、二種類の機関車でした。
ひとつは鉱山でよく見かける小型バッテリー機関車。
もうひとつは平トロに耕運機のエンジンを搭載した珍ロコでした。
都賀軌道での主役は、やはり珍ロコの方だったと思います。
トロッコファンなら、誰もがそう答えるでしょう。
ボクたちは『バッタ』と呼んで親しんでいました。
『あの雰囲気でDLだったら…』
という贅沢をトロ仲間たちと言っていましたが、
BLにしろ、バッタにしろ、それなりにいい味を出していました。
都賀軌道は総延長3km弱、6路線に分類されました。
路線名は便宜上、ボクが勝手に付けたものですので参考程度に…(笑)
このように路線が分断された理由はいくつかあります。
地形的に接続が不可能な個所もありましたが、
工期によって稼働する軌道が異なった、というのが最大の原因でしょう。
つまり、これらの路線すべてが同時に存在した訳ではないのです。
路線と位置関係、経緯については地図をご覧ください。
この地図は『知られざるナローたち』に掲載されたものです。
ボクが元の地図を書き、当時の編集部の方が仕上げてくれました。
原板がボクの手元に残っていたため、33年ぶりに改めて掲載出来ました。
当時、全国的にナロー軌道はまだまだ多く存在しましたが、
都賀軌道のような工事用トロッコは大変珍しいものだったと思います。
工事は昭和54年11月から55年2月にかけて行われました。
僅か4ヶ月しか見られなかった、まさに『幻のトロッコ』だったのです。
その印象は強烈そのもので、未だ忘れることはありません。
更に、ボクたちのアンコールに応えるかのように
翌シーズンに再登場したということも思い出深い出来事でした。
さて、都賀軌道の顛末を訪問日ごとに追ってゆきましょう。
日付の記録はネガカバーのみ、特にメモをとっていた訳ではないので、
写真を伝手に曖昧な記憶を辿ることしか出来ません。
また、全ての掲載が完結するまでには、相当な日数を要するものと思われます。
どうぞご了承ください。
【路線マップ】
【訪問日】
~プロローグ~ ”宇佐美発見伝”
昭和54年 11月 9日
昭和54年 11月21日
昭和54年 12月 5日
昭和54年 12月 12~13日
昭和54年 12月 14~15日
昭和54年 12月 15~19日
昭和54年 12月25日
まだまだ続く…
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