日本粘土 岩手鉱業所


















◆所有事業所◆
日本粘土鉱業株式会社


◆主な運行区間◆
坑口~上部軌道JCT(インクライン)
JCT~選鉱所~土場~ズリ捨て場
距離不詳 508mm軌間




【概要】


かつて、岩手県岩泉に存在した小川炭鉱からの石炭搬出を目的とし、
国鉄東北本線の小鳥谷から小川炭鉱を経て宮古へ至る鉄道が計画されました。
大正10年に東北鉄道鉱業が創設され、石炭の採掘と鉄道建設が開始されたものの、資金難により工事は中断。
石炭、年度の採掘と販売を続け、昭和11年には岩手炭鉱鉄道と社名を変更します。
更に昭和23年には岩手窯業鉱山と名を変えますが、6年後には倒産してしまいました。
岩手窯業鉱山を実質的に引き継いだのが、昭和30年に創立した日本粘土鉱業だったのです。
石炭採掘は廃業し、良質の耐火粘土を産出する名目入地区に於いて操業を開始しました。
運搬には軌道が採用されましたが、輸送量が少ないからか508mmという極小軌間を採用。
それでも当初からディーゼル機関車を導入し、活躍していました。

軌道の役目は、斜坑によって連絡する地下の採掘現場から粘土を搬出すること、
また選鉱で排出されるズリの廃棄、坑内で必要とされる資材、坑木などを運搬することです。
斜坑は地上のインクラインと直通し、山の中腹にある上部軌道に連絡していました。
インクラインによって斜坑から牽き出された鉱車は、
ワイヤーロープ操作とポイント切り替えによって上部軌道へと導かれます。
ここで北陸製4トンDLが登場。
入換作業の後、選鉱場へと鉱車を運びました。
選鉱場の先はズリ捨てと資材運搬の軌道が続いています。
ここでもDLが牽引する列車が見られました。

たった一度の訪問に終わったことから、軌道の全貌を掌握することは出来ませんでした。
鉱山は規模を縮小しつつも存続していましたが、平成8年に操業を停止して閉山したようです。
軌道は廃止、北陸製DLは暫くの間放置されていましたが、その後保存目的で引き取られたとか。
風の噂では動態保存を目指したが頓挫した模様。
残念ですね。






【車両】

1号機=日本車輛製 マイニング 4トン機
2号機=北陸重機製 油圧モーター駆動 4トン機
バッテリー機関車=1.5トン・2トン・4トン・詳細不明)
1.2立米ダンプ鉱車=約170両
その他=木製鉱車・平台車など






【訪問日】


昭和60年 2月 9日/1


昭和60年 2月 9日/2














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