三井化学専用線


◆撮影日◆ 令和 2年 3月23日(月)







朝7時半頃 まだ人影はない








東芝の標準凸型と称されるタイプ。
既に製造から80年が経過しているとは思えない美しさだ。
職員氏の手により、宮浦駅構内を閉ざしていた門が開いた。






三井化学専用線の一日は宮浦駅から始まる。
従業員が出勤し、毎朝8時過ぎに線路上を閉ざしていた構内門が開くといよいよ運行開始だ。
空車となったコンテナを積むコキ200は前日夕方までに構内に編成を組んで留置されている。
その横に停まっていた45トン電気機関車18号機に運転士が乗り込み、パンタグラフが上がった。







今日も舞台に上がった18号機 朝陽に車体が輝く




18号機は1936(昭和11)年に芝浦製作所にて誕生した。
すでに84年もの車歴をもつ古豪機関車であるが、
整備が行き届いているのだろう、ことのほか美しい。
まるで動態保存車両のようである。

この路線で運ばれるのは、主に濃硝酸や液体塩素などである。
かつては宮浦駅構内に於いて海陸コンテナの取り扱いがあり、これらの輸送もしていたが
近年では化学物質だけとなった。
液体塩素は南延岡の旭化成で、濃硝酸は黒崎の三菱化学で生産され、
JRの専用コンテナUT13C形によって輸送される。









朝一番の運用は、前日に搬入されたコキ編成の返却だ。
工場で納品後、当日夕方には宮浦構内に戻されている。
かつては他の化学物質も輸送しており、編成もそれなりに長かった。
近年では編成が短くなり、更に運行本数も減少している。












いよいよ出発










宮浦駅を後にする列車。
JRと接続する旭町までは2キロ足らずの道のりである。
旭町にコキを届けると、ただちに単機回送で宮浦に帰る。
返空列車を見送り、およそ10分後には戻って来た。










動き始めた18号機はコキ編成の前に連結された。
一旦構内の端まで後退し、朝日町方面の本線に転線して出発する。

構内の旭町寄りにある踏切は電鐘式警報機で、カランカランと鳴る鐘の音が懐かしい。
この踏切を通過し、大牟田川に架かる鉄橋を渡ると単線区間である。
途中の線路は3箇所ある踏切を除けば、すべて両側をフェンスに囲まれている。
まさに工場専用線といった風情ではあるが、
走行の様子を撮りたい我々にしてみれば甚だ厄介なシチュエーションだ。
国道208号線を横切る有名な旭町踏切を過ぎ、
鹿児島本線に接近してもうひとつ踏切をこえると旭町駅に到着する。
ここはかつて三井鉄道の駅だったが、現在はJR大牟田駅構内扱いの仮屋川操車場である。
到着すると牽引して来た電機は解放され、機回し線を通って宮浦駅へ単機回送される。
空車コキ編成はJRのHD300形ハイブリッド機関車に引き渡され、大牟田駅へと向かう。
 
宮浦駅に戻ると次の運用まで小休止に入るが、
この日の18号機は到着後ただちに構内先にある車庫へと引き上げてしまった。
ひょっとすると次の列車は運休だろうか?と不安になる。
が、次の瞬間、ピカピカに光った19号機が姿を現した。
聞くところによると19号機は数日前に検査を終えて試運転しており、
近日中の運用充当が噂されていた。
通常は18号機か19号機どちらかで一日の運用をこなしているので、
この交代劇に遭遇できたのは誠に幸運である。









替わって登場した19号機。
検査明けの姿は18号機を上回る美しさだった。
歴史ある鉄道ゆえに旧く渋い佇まいの施設も多い。
苦楽を共にしてきた車両たちとの別離も近い。
待機中の11号機は、なんと大正生まれだ。
工場内線路は非電化であり、電源車から給電されて走行する。
こちらも動態保存車と見紛う状態。
磨き上げられたナンバープレートと三井のロゴが輝く。
無蓋車に蓄電池を搭載したデ3電源車。
















旭町駅に接近する単機回送の19号機













専用線にとっては最後の春となった











工場から宮浦に戻って来た11号機








45トン機によって宮浦駅に到着したコキ編成は、1両ずつ分割されて工場へ搬入される。
この作業を行うのが22トン電機の役目である。
残念ながら工場に近づくことができないため、搬入の様子は見られない。
が、宮浦からコキを連れ出して、単機で戻ってくるまでは約10分を要した。
積載物によって納品場所が異なるのだろう。
簡単な入換作業もしているのかも知れない。








架線のない線路をパンタを降ろして走る…
なんとも不思議な光景であった。
搬入の際、コキは必ず1両ずつだった。
なんとなく模型を彷彿とさせる雰囲気。
パンタを上げて走る姿を見たかった。
届いたコキの数だけ搬入作業が続けられる。













昨今は鉄道貨物輸送が再認識される風潮なのに…













せめてフェンスがなければ…と誰しも思うはず。
木造無蓋車のハト37とハト152。「ハ」は函が由来らしい。
運用終了。おつかれさまでした!









10:30頃、単機回送の11号機が戻って来た。
あとは午後の空車引上げ作業まで小休止である。
側線の19号機は明朝まで出番がない。
延々と観察しているのも退屈なので、明日の再訪を楽しみに一旦この場を立ち去った。









両車あわせて188歳! 働く姿は美しかった












【使用機材】

OLYMPUS OM-D
E-M1 MarkⅡ












翌日3月24日の三井化学専用線




トップに戻る




私鉄&専用線目次に戻る




三井化学専用線トップに戻る


inserted by FC2 system