三井化学専用線



宮浦 ~ 旭町 1.8km
1067mm軌間 直流600V電化




物館に展示してあるような美しい電気機関車が現役で活躍する。
保存鉄道と見紛う光景がつい先日まで展開されていた。
大正、昭和初期に製造された機関車が、日常的に運行されていたのは奇跡的だったとしか言いようがない。
地元では炭鉱電車と呼ばれた小さな鉄道が、130年の歴史に終止符を打った。





大牟田の繁栄とともに活躍した三池鉄道


福岡県大牟田市は石炭産業で栄えた町である。
繁栄の礎となった三池炭鉱は、隣町の熊本県荒尾市にかけて広がっていた。
良質な瀝青炭を産出する屈指の炭鉱である。
江戸時代から採掘が盛んに行われ、1873(明治6)年には明治政府の官営となった。
この頃の三池炭鉱は劣悪な労働環境だったと伝えられている。
労働者不足から多数の囚人を就労させていたのだ。
最も酷い状況では、炭鉱労働者の約70%が囚人だったという記録さえある。
また坑内では湧水が多く、採炭現場では大きな障害となっていた。
低賃金で過酷な労働を強いられ、労働者による暴動も多発していたという。
1889
(明治22)年に三井財閥の手に渡り、三井三池炭鉱となった。
三井は生産量増加を目指し、欧州からの最新技術と設備を取り入れて近代化が図られる。
新たに開削された坑口では、最新鋭の設備によって坑内排水に取り組んだ。
これによって産出量が大幅に増加した。
更に輸送の効率化が求められ、各坑口と三池港をリンクする専用鉄道が計画される。
1890
(明治23)年の開業以来、1905(明治38)年にかけて路線の延伸が続けられた。
1909
(明治42)年からは電化工事が始まり、1923(大正15)年には全線が電化されている。
最盛期には引き込み線などを除く路線延長18.6kmで保有車両は780両以上にも及んだ。
石炭、貨物輸送の他に従業員用の客車も運行され、
専用鉄道から昇格し、地方鉄道法に基づいた私鉄となった時代さえあった。
地元の人々からは炭鉱電車と呼ばれて親しまれ、まさに大牟田の町には不可欠の鉄道として君臨したのである。

三池炭鉱は1997(平成9)年に閉山し、三池鉄道もその役目を終えている。
が、宮浦駅に隣接する三井東圧化学(現・三井化学)に出入りする貨車を存続させるため、
JR鹿児島本線に接続する旭町と宮浦の間が残された。
これが今日まで走り続けていた三井化学専用線である。
近年は貨車取扱量が減少し、三井化学としては様々な観点から鉄道による化学物質の搬入を見直していた。
そして2020(令和2)年5月をもって、貨車輸送を取りやめることを決定。
5月6日の搬入、7日の返空をもって運行が廃止された。










《2020年 3月 当時の在籍機関車》

45トン電気機関車 18号機/19号機
22トン電気機関車 9号機/11号機/12号機





【訪問日】



2020年 3月23日


2020年 3月24日





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