三井化学専用線


◆撮影日◆ 令和 2年 3月24日(火)







もっとも有名な旭町踏切 この日はテレビの取材も来ていた







実を言うと大牟田に来るのは二度目である。
鹿児島本線の列車で素通りというのは何度もあるが、きちんと訪問したのは昭和57年と今回だけだ。
前回は長崎の高島で撮影後に移動し、友人がいる島原に泊った。
翌朝、島原から大牟田までフェリーで渡り、三井三池三川鉱のナロー電機を撮影している。
滞在時間は僅かで、その日のうちに博多から大阪へ飛んだ。
従って三川鉱のナローを一瞥しただけで、三池鉄道までは観察できなかった。
これが後々になって著しい後悔となる。

いつかは行ってみたいと思っていた三池鉄道は平成9年に廃止されてしまった。
しかし、その末裔ともいえる三井化学専用線は残っている。
一度は行きたいと思い続けて20年以上、なんと廃止決定の知らせが入ってきた。
残念ながら一度も見ぬまま廃止かぁ…と思っていたのだが…

娘の就職と息子らの進学が決まり、令和2年3月に家内の実家(鹿児島)へ帰省することとなった。
社会に出れば暫くの間は休みもままならないだろうから、ここがチャンスとばかり。
乗って楽しい列車もないし、唯一楽しいサンライズを利用すると高くつく。
結局は格安航空券の世話になった。

格安と言っても一応JALである(笑)
滞在期間は6日間、特にどこかへ行くなどの予定もなく家でゆっくり過ごす…
という訳で3日間ほどヒマをもらい?大牟田を目指すことにした。


三井化学は朝が勝負だから、3月22日夜から前泊。
23日はいいお天気の下で撮影でき、博多、筑肥線を巡って夕方に大牟田へ戻った。

宿は旭町踏切の目の前、ホテルの扉から踏切までは徒歩15秒くらいである。
従って24日はゆっくり起床し、余裕で朝食を摂って8:00ちょっと前に踏切横に立った。








恐らく宮浦駅からの連絡だろう、間もなく通過時刻である。
多くの人たちの手によって、専用線の安全が守られてきた。












この道にはかつて路面電車があった 西鉄大牟田市内線である








列車が通過後、速攻で移動した。
所要時間は前日に予習済みであったが、かなりタイトなので走らないと間に合わない。
案の定、息を整える間もなく踏切の鐘が鳴り始めた。








旭町踏切通過直後。遮断機が上昇している途中だ。
障害物の多さは諦めるしかない…か、な…(;^_^A












令和の時代まで走り続けてくれたことに感謝!











走り去る姿にさえ風格を感じた。
もっと早く出会いたかったなぁ~










次の宮浦行きが45トン電機の走行シーン、最後の撮影である。
もしかすると、これが本当に最後かもしれない。
限られた撮影地の中から、敢えて昨日と同じポイントを選んだ。
宿泊したホテルの駐車場が専用線に面しており、
ここから狙うと仮屋川から列車を牽き出してくる様子がよく見える。
出発前、地図やストリートビューで調査して目をつけていた場所だ。
意外ではあるが、ここから撮った写真はあまり見かけない。








ハイブリッド機関車HD300形が宮浦行きコキ編成を牽いてきた。
見慣れない西鉄電車との並びも素敵だ。
フェンスが途切れている箇所があり、合法的に線路へ接近できる(笑)
走行シーンでは、最も間近で見られる場所ではないだろうか。








化学物質を積んだコキ編成は、北九州貨物ターミナルを早朝に出発し7:50に大牟田に着く。
大牟田駅では牽引機のEF81が解放され、入換機のHD300に替わって仮屋川信号所まで牽いて来る。
大牟田~仮屋川は約1km離れているが、駅構内扱いなのでHD300はあくまでも入換作業だ。
そして45トン電機の登場と相成る。











ゆっくりと牽き出し 徐々にモーターの唸りが高まってくる












働く姿はやはり美しい!












堂々たる風格! 来て良かった~









撮影後、宮浦駅までタクシーをあてにしていたのに
いつも2~3台が停まっているはずのホテル前タクシー乗り場はガラーン(-_-;)
オマケにおばさんが一人待っている。
徒歩で行ける距離ではあるが22トン電機をいち早く見たいと思い、昨日はタクシーを利用した。
モチロン楽だし、恐らく入換作業を一回多く見られるか見られないかの差である。
いつ来るか分からないタクシーは諦め、速足で宮浦へと向かった。









一回目の搬入を終えた単機が戻って来たところだった。
接近して…
連結!
そして出発してゆく。














昨日イマイチだったこの場所でリベンジ!














22トン電機を撮れるのもあと僅か…














鐘の音もよかったなぁ~













昨日まで線路の上にあったハト2両が…
群馬県に移送され、保存すると聞いた。
僚友の旅立ち。
モーターカーも一緒に。トラックはなぜか富山ナンバーだった。










奇しくもハト搬出作業の時間を共にしてしまった。
昨日は18号機と19号機の交代も見られたし、たった二日間の訪問にしては幸運であった。
テレビクルーは福岡放送の「めんたいワイド」制作班で、ボクも宮浦駅で取材を受けた。
わざとらしい演技と共に(笑)インタビューをされたが、果たして放送されたのか否か。
オンエアが決まったら連絡くださいと名刺を渡しておいたので、
音沙汰ナシってことはボツられたのかな~、残念!

でも、本当に来て良かった。
日本の鉄道に被写体はもう無いと思っていたものの、ここは別格である。
まさに一見に値する。
素直にそう思った次第である。


令和2年5月6日のコンテナ搬入、翌日の返送をもって三井化学専用線の運転が終わった。
6月にはお別れイベントが行われる予定ではあったが、新型コロナウイルスの影響で延期。
9月には実現出来そうだったのにもかかわらず、
7月6日の大雨被害が宮浦駅にも及んで車両が水に浸かってしまった。
これによってイベントの再度中止が決定している。
なんらかの形で花道をつくってあげてほしい、と切に願う次第だ。










【使用機材】

OLYMPUS OM-D
E-M1 MarkⅡ













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