Vol,1 28years after
昭和56年10月 天鳥
28年ぶりに訪れた千寿ヶ原では、懐かしさと複雑な思いが交錯した。
その変貌ぶりはストリートビューで予習済みではあったが、
やはり現物を生で体感すると気持ちが違う。
親しんだ昔日の日々を打ち砕くように、
変わり果てた現況が次々と通り過ぎて行った。
特に立山砂防事務所の変化がとりわけ悲しい。
事務所本屋は観光施設と見紛う程リッパな建物に、
構内の線路配置なども激変しており、まるで別の場所のような気さえする。
しかし、『悲しい』と表現したのはこの変化ではない。
軌道構内を隠そうという意識が見え見えの造作、
これでもか!と言わんばかりの『立入禁止』立て札…
立山砂防軌道は何時から隔離施設になっちまったの?
そこまでボクらとの間に垣根を造っちゃうのかい?
それが正直な感想である。
朝、慌ただしく何本かの列車がスイッチバックを駆け上がった。
DLの軽やかな排気音、トロッコのジョイント音、
それを聞くだけならば、30年前とは大差はなかった。
だけどスイッチバックに接近してみると、
これまた過剰なくらいの防護対策が施されている。
それも英語、韓国語、中国語まで併記された『立入禁止』。
この現場を目の当たりにすると、
ボクらの立山砂防軌道は過去のものになったことを痛感してしまう。
常願寺川沿いの展示線に留置された加藤製DL。 以前は事務所敷地内に静態保存されていた。 現在では動態保存らしい。 |
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左の線路は訓練軌道。 川沿いに敷設され、途中にはスイッチバックもある。 乗務員の訓練習熟を目的として敷設されたとのこと。 |
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構内外れにある最初のスイッチバック入口。 右が千寿ヶ原構内、左は行き止まり、手前が本線。 右に分岐した軌道によりデルタ線を形成している。 かなりの急カーブゆえに 通れるのはDL単機とモーターカーだけだ。 通常の列車などは、このようにスイッチバックする。 このあたりの線路配置は昔と変わらないようだ。 |
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トロッコ自体は然程変化がない。 車両が更新され、ヘッドマークが付いたくらい? だが、取り巻く環境などは激変した。 気軽に撮り歩いていた軌道敷には立ち入ることが出来ず、 僅かな場所の柵外から一瞥するだけだ。 |
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スイッチバックを繰り返し、高度を上げてゆく北陸。 |
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運転士は無線機を携帯し、常に連絡を取りながら運転する。 このモーターカーには信号掛も便乗していた。 |
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構内の立入も出来ない。 ここでも柵の外から覗き見るだけだ。 |
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運転士はシートベルトを装着している。 いでたちも制服とヘルメットだ。 私服同然で運転していた昔とは格段に違う。 |
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運行管理所なる建物があった。 昔と違い、運転体制に関しても厳しくなったようだ。 |
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白い建物の位置は、かつて木造車庫があった場所か? 現在では滑り止め砂の保管場所となっている。 |
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訓練軌道沿いの道を中小屋方面に歩き、 公園のような場所で10時の人車を待った。 道路でも立入制限が増えたため、 撮影できる場所は本当に少なくなった。 |
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見覚えのあるナンバー。 57-10-28 だが… |
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昭和57年10月、この朝納車された新型DL。 57-10-28 デビュー当時の姿だ。 |
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立入禁止は理解するが、 過剰なまでの虎ポール林立は勘弁してほしい… |
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何人たりとも接近させないという構え。 今の立山に『情』は一切無い。 |
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構内での移動には必ず信号掛の先導を受ける。 徹底した安全管理により、軌道は守られているのだ。 |
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合法的に奥地へ立ち入る術が今は無い。 神秘のヴェール、鉄のカーテンに閉ざされた感じだ。 立山砂防軌道は、このまま伝説になってしまうのか… |