朝から播但線を撮り、明延鉱山で念願の人車乗車を果たした日。
締めくくりは夜の和田山機関区で、DD54のバルブ撮影です。
結局は最後まで埼玉から来た鉄チャン、Sさんと一緒に行動しました。
明神電車を神子畑で降り、全但バスで播但線の新井駅へ。
そして和田山に着いたのは…
はて、何時だったのか…(?_?)
ネガを見ると、新井らしき駅からDD54 32の牽く客車列車に乗ったようです。
数枚のスナップがありました。
が、やっぱり苦しいですなぁ~
この時代にデジタルがあったなら、さぞかし…(ーー゛)
機関区への立ち入りは、事務所を訪ねて許可をいただきました。
この頃は構内立ち入りの規制が未だ緩かったのでしょう。
だいたい昔は、機関区や駅構内はフリーパスに近い状態でした。
勝手にウロウロして写真を撮っていても、特に怒られることもなかったし…
和田山では真面目に(?)許可をいただいて立ち入りました。
新井駅
撮影の旅に出て、日が暮れるとカメラはしまいっぱなし。
夜に自分の乗る列車を撮るなんてコトは、滅多になかったですね。
やっぱ、DD54だったから?
露光不足、ネガは擦り傷だらけ、
でも貴重なシーンかもしれません。
対向の気動車も、なんだか懐かしいですね。
こんなシーン、幾度も見たはずなのに、妙に惹かれます。
新井駅の発車前でしょうか? | |
先頭のデッキ、冬は寒かったですよね。 |
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牽引する機関車を触れるんですから… | |
何処の駅でしょうか? 途中だから、青倉か竹田か? |
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DD54はホームをはみ出てる?? | |
和田山駅に到着。 牽引機のDD54 32は解放され、機関区へと向かいました。 |
二次形のDD54 12
昼に貨物を牽いていた12号機ですね。
個人的には、DD54の中でこのタイプが一番好きです。
反対側から…
性能や使い勝手は分かりませんが、ホントにカッコいいDLですね。
お月さん(*^^)v
さっき、新井~和田山で乗った列車を牽いて来た32号機です。
まーるいお月さんに照らされて小休止。
寄り添う僚友たち
煉瓦造りの機関庫がいいですね~♪
C57時代から、よく題材にしていましたよね。
機関区の隅っこに社がありました。 | |
ちょうど32号機の横です。 | |
機関区の安全を見守っているのでしょうか。 |
(--〆)
フレーミングがっ…((+_+))
煉瓦車庫を写し込まないとねぇ…
DD54たちと戯れた夜でした。 | |
右が行動を共にしたSさん。 「見学者」の腕章をしていますね。 |
機関区での撮影を終えたのは何時頃だったのでしょうか。
全く覚えていません。
スタンプノートによると、
『客824レの前部にはDD54が回送で付くはずがウヤだった』
と記されています。
ウヤではなく、回送が無かったのだと思いますが…
その後、福知山へ移動しました。
その理由は…
当時、大阪~大社(出雲市)間を結んでいた夜行急行『だいせん』という列車がありました。
『だいせん』は気動車による昼行列車もあり、
調べてみると、夜行は下りが2号、上りは3号だったようです。
列車番号は705レと706レで、705レのみ出雲市~大社間を延長運転していました。
705レ、706レ共にDD51の牽引でした。
しかし、705レの福知山~和田山間(豊岡だったっけなぁ…?)には、
回送のDD54が連結されたのです。
何処から仕入れた情報かは失念しましたが、これを狙おうという訳です。
チャンスはたった一度、今夜だけです。
DD54が連結されるのは最後尾です。
DD51の前に付いて重連になればカッコいいのですが、まあ贅沢も言っていられません。
当時のDD54にとって、回送補機とはいえ唯一の急行運用ですから。
その雄姿を撮影しようと、福知山に移動したのです。
寝台車は4両目以後… ちょっと分かりづらいかな(*_*)
前がちに撮ると もっと分かりづらいぢゃない…(-_-メ)
(^O^)/
おー!
急行運用の証!
ナハフ11も懐かしいですね~♪
そして…
静まり返ったホームを後に…
大社行き急行だいせん2号が走り去りました。
なんとか撮れて良かったです。
この後、827レ「山陰」に乗って再び和田山へ戻りました。
一日中行動を共にしたSサンとは和田山でバイバイし、ボクは826レ「山陰」で京都へ。
周遊券を駆使した時間つぶしですね(笑)
こんな旅、昔は当たり前でしたが妙に懐かしいです。
DD54と加悦鉄道、そして明神電車を撮影した三日間でした。
なかなか充実した内容でしたね(自画自賛・笑)
しかし夜行連発で、さぞかし寝不足でしょうなぁ。
記録によると、「826レではよく眠れた」と書いてありましたが…
(・_・;)
◆1978年 2月 16日撮影◆
ペンタックスMX
ペンタックスSP-F
マミヤC330 プロフェッショナルf
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翌2月17日の別府鉄道へ