加悦鉄道





撮影日=昭和53年 2月 15日(水)




Vol.2









加悦では何処かでお昼を食べたのでしょうが、全く記憶がありません。
同行していたW君に『なに食べてたのかなぁ~?』という質問をしたところ、同様に記憶なし。
彼が言うには、そういうことを覚えていないのは
『実際に食べていたのが立喰いソバ、お店で買った菓子パンばかりだからじゃない?』
とのこと。
なるほど、印象が薄いものしか食べていないから何も覚えていないのかも知れません。
旅行記みたいなモノを書いておけば、レポートの内容も広がって面白かったかも…(・_・;)
ホント、後悔ばかりです。


午後は加悦駅から歩きながら撮影をしていたようです。
家並みと線路を俯瞰する良さげな場所を見つけ、雪も止んでいたのでそこで列車を待ちました。
しかし列車の来る時刻寸前から雪が強く降ってきてしまって視界不良。
辛うじてシャッターを切りましたが、なんだか訳のわからない写真になってしまいました。
よほど調子が悪かったのでしょう、意味不明のフレーミング続出。
あとは少し投げやりになっていたのかな~? 撮り方がとにかく甘いです。
自分でも情けないくらい、散々な結果になってしまいました。













加悦駅へと進入するキハ08です。
いい感じの駅舎なのに…
ちゃんと撮れていませんねぇ…
地方私鉄らしい趣ですね。
こういうの、ツボです。

















(ーー゛)




なんだか中途半端な処で撮っていますねぇ…(・_・;)
なんも考えてなかったんかぁ?!















(-_-メ)
(*_*)





なんとも…
我ながらお恥ずかしい結果で…
(ToT)/~~~

















((+_+))




狙いは良かったんでしょうが…
運が悪かったですね。
ちなみにキハが来る前は ↓ こんな様子でした。





(^-^;




雪は降っていますが、かなりマシでした…




















三河内駅




加悦駅から1kmちょっと歩き、隣駅の三河内にやって来ました。
…と言うよりも、ここで力尽きたようで((+_+))
暫くの間、この駅に居たように記憶しています。
放置自転車で雪に埋もれた線路を走ったり(笑)
なんか訳わからんことをしていたような…

そんな時間を過ごしていた時、不意に列車の接近を感じました。
踏切警報音だったのか、列車の音だったのか、全く覚えが無いのですが、
恐らく『何か来る!』と知ってカメラを構えていたのでしょう。
そして現れたのが上の写真のDD352でした。

DD352は昭和49年、川崎重工製。
この頃は丹後山田~岩滝間の日本冶金専用線で活躍していたそうです。
貨物のダイヤなんて知らなかったしなぁ…
車庫のある加悦と丹後山田の間は単機回送だったんですね。
まあ、撮れて良かったです。

















(?_?)




ここの駅名は三河内? 丹後三河内?
どちらなのでしょうか?
平仮名では『たんごみごうち』、漢字では『三河内』と記されています。
さて、正解は???


















しんしんと雪が降り続ける中…




加悦行きのキハ08が来ました。

















乗降客はあったのかしら…?




ゆっくりと発車してゆきました。

駅の風情と降雪により、まあ良い雰囲気が出ていますね。
この時のキハ08、ボクが撮影した中では一番いい表情をしていると思います。













加悦へと向かうキハ08。
この折り返しに乗り、丹後山田へと戻りました。
車内は客車そのもの!
レンズが結露で…((+_+))
揺れる車内での発券作業。


















丹後山田駅




手荷物をデッキから降ろし、リヤカーに積んでいました。
荷物輸送が盛んだったようですね。

















雪は帰る時まで降り続いていました…




しかし…
自らの怠慢を天候のせいにしてはいけませんねぇ…
この頁を作成しながら、ふとそう思いました。
同時に『もう少し何とかなったんじゃない?』という不満と後悔が噴出。
あ゛ーっ!悔ぢぃ~~!


















さよなら加悦鉄道…




手書きの列車案内、昔はよく見ましたね。

現役時代の加悦鉄道、これが最初で最後の訪問でした。
この6年後、加悦鉄道は廃止となってしまいました。
きちんと撮れていれば、それなりに良い思い出だったのでしょう。
しかし、ご覧のような結果だったため、ボクにとっての加悦鉄道は…(+o+)
当時はそんなに深く考えていなかったような気もしますが…(苦笑)

まだまだ雪の降り続ける丹後山田駅を後にして、
ボクたちは16:05発の急行『丹後3号』に乗って城崎へ向かいました。

















903D 丹後3号




急行『丹後』は京都と丹後地方の各地を結んでいました。
いくつかの系統があったようで、詳細については分かりません。
この903Dは京都~綾部~西舞鶴~宮津~豊岡~城崎という経路を辿っていました。















何処かの途中駅で停車。
対向列車がやって来ました。
キハ82系の特急『あさしお』です。
豊岡で降りても良かったのですが、時間稼ぎのため城崎へ。
城崎から豊岡に戻る列車内より。






城崎からはW君と別れ、単独行動です。
彼は急行『白兎』と『さんべ』を乗り継ぎ、下関へと向かいました。
ボクは普通列車で豊岡に戻りましたが、ここからが妙な行程…

記録によると、豊岡~(急行美保)~和田山~(525レ)~浜坂~(826レ)~和田山
という行ったり来たりの動きをしています。
予定だと525を豊岡で降り、824で和田山に戻るつもりだったようです。
ところが525が10分程遅れ、豊岡に到着後すぐに824が出てしまったので乗れなかった…
と記されています。
もともと和田山駅の待合室で寝ようという計画だったのでしょうが、
時間の使い方が有効なのか無駄なのか、理解に苦しむ行動ですね(笑)
ちなみに翌日は播但線狙いなので和田山泊なんです…

旧い時刻表によると、826レ『山陰』は浜坂を0:23発、和田山に2:09着です。
多分824レで戻れば待合室でタップリと寝られたのでしょう。
このヘンテコな乗り継ぎのおかげで、また睡眠不足になったんじゃないかな?

それにしても一日中降雪の中を歩き回り、それで駅泊とは…
若かったですね~
今じゃ考えられません!










ペンタックスMX




ペンタックスSP-F




マミヤC330 プロフェッショナルf













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2月16日 播但線へ

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