播但線


撮影日=昭和53年 2月 16日(木)







前日は加悦鉄道で終日撮影し、変な乗り継ぎの末に和田山駅泊。
「泊」と言っても、到着したのが2時過ぎですからねぇ…
マトモに眠れたのかどうか…(ーー゛)

和田山駅の待合室では、埼玉から来たSさんという鉄チャンと知り合いました。
どんな事を話したのかは殆ど記憶が無いのですが、ただひとつ強烈に覚えているのは明延のことです。
彼と明神電車の話をしていて、一昨日行って来たんですよ~とでも言ったのでしょうか、
記憶が曖昧ですが、確か『乗りました?』なんて聞かれたような…
『えっ!?便乗禁止でしょ?!』と問うボク。
しか~し!
『あれは簡単に乗れますよ~』との返答でした。
この辺のやり取り、かなりビックリしたので印象に残っています。

で、この日の後半は明延に行こうじゃないの! というコトになったのですが、
その時の様子は後ほどご紹介することにして、とりあえずは播但線です。


記録によると632レで溝口に向かったようです。
DD54狙いなのですが、このあたりは全く記憶がありません。
この日は終日Sさんと行動を共にしました。













朝陽を浴びて疾走するキハ58系7連。
上り普通列車のようです。
こちらは雑多な編成…
キハ17、キハ35、キハ45等が混ざっています。
DE10牽引の寺前発姫路行き普通列車。
かつてはC11が牽いていた列車ですね。
急行『但馬』でしょうか…
これも姫路~寺前の区間列車。
現在は電化され、電車が走っているそうです。














汽車旅…













姫路~寺前間には多くの区間列車が運行され、そのほとんどは客車でした。
ほんの数年前まで、これを牽引するのはC11でした。
寺前には転車台が無いため、姫路発はバック運転。
確か休日運休の列車が多かったと記憶しています。
この溝口~福崎間には小学六年の時に一度だけ撮影に来ました。
正月ダイヤでC11の区間列車が軒並み運休となり、悔しがった覚えがあります。
その代償?でC57の臨時急行を見ることは出来ましたが…
今となっては良い思い出ですね。















DD54 32牽引の姫路行き普通列車





かつて蒸気機関車を撮りに来た場所へ再び訪れる…
この頃はこういうケースが多かったように思います。
たいてい変わっていたのは牽引機だけで、客車などは昔そのまま。
蒸機亡きあとの昭和50年代、まだまだ汽車旅の風情が残されていたのでしょうね。














朝陽を浴びて















キハ181系 特急はまかぜ



















貨1691レ DD54 12





氷のせいで水鏡が…(-_-メ)
C57に貨車が似合わなかったのと同様に、どうもDD54の牽く貨物はパッとしませんね。
客車の先頭に立つ姿の方が断然カッコいいと思います。


この後、バスで福崎へ移動したとの記録があります。
そして急行『但馬2号』に乗り、生野へ向かいました。
生野からタクシーに乗り、長谷側の大築堤へ。
途中で追い抜いた貨1691レを迎え撃ちます。



















貨1691レ DD54 12





(ーー゛)
タイミングを誤っていますねぇ…
せっかくタクシーまで使って行った場所なのに、何故かこれ一枚しか撮っていません。
マミヤは?
もしかすると、スタンバる時間が無かったのでしょうか…?
もはや知る由もありません…

















生野駅のつららとDD54 12。
貨物列車は、構内和田山寄りにある独立したスペースに停まりました。
運転席窓がステンレス枠の二次型。
一軸の中間台車がユニーク。
ジャーマンスタイルに、ジャパニーズテイストを混ぜたような風貌。






生野駅に来たのは昭和46年2月以来のことです。
その時は、C57三重連の列車に乗りに来たというお粗末な旅でした。
構内にはDD54を前補機にしたC5711の貨物列車が停車しており、
『前の赤い箱、邪魔やのう…』と言いながら撮った覚えがあります。
まさか、その赤い箱を撮りに再訪するとは…(゜-゜)

DD54 12が牽引する貨1691レは、暫くの間生野駅に停車していました。
が、昔C5711の貨物が停まっていた場所ではありません。
和田山寄りの構内には4本ほどの側線があり、そこに停車していました。
生野駅から和田山方面に向かうと、直ぐに下り急勾配があります。
4本の側線は勾配のある本線と並行しているため、
なんだかスイッチバック駅のようにも見えました。
なんでもこの場所は播但鉄道時代の終着駅だったとか…
明治28年、姫路から徐々に延伸してきた路線が生野まで通じました。
その際の終点が、このDD54 12が停車している場所だったそうです。
明治34年、播但鉄道は新井まで路線を延長、僅か6年間の終着駅でした。
その後は貨物列車の待避、車両の留置に活用されていた模様です。
















離合









DD54 12の向こうに、キハ181系の特急『はまかぜ』が見えました。
181系は駅から勾配を下り、側線横の低い部分を通過してゆきます。
やはりスイッチバックのような風情です。
なんだか面白い体験をしました。










スイッチバックみたい…


















カッコよかったです~❤













この後は新井に移動し、バスに乗り換えて神子畑へと向かいました。

同行していたSさんが、軽~く
『乗れますよ~♪』
と言っていた明神電車へ行きます。









◆1978年 2月 16日撮影◆








ペンタックスMX




ペンタックスSP-F




マミヤC330 プロフェッショナルf













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