夜行急行列車

列車名別懐古写真集









能 登
 NOTO







首都圏と北陸を結ぶ列車を大別すると、東海道本線~米原~北陸本線経由、
または上信越線~北陸本線経由に分けることが出来るだろう。
前者は、現在の新幹線~『しらさぎ』の乗り継ぎルートである。
一見遠回りとも感じられるが、急峻な山越えのある上信越と比較すると往来が容易だった。
距離は余計にかかっても、到達時間は然程でもなかったのだろう。
北陸新幹線が開業した現在でも、東京~福井であれば米原経由の方が早い。
とは言え、一般的なルートは後者の上信越~北陸の方だった。
多くの優等列車が設定され、急行『能登』もそのひとつである。
歴史をたどると、大正11年から運行を始めた上野~金沢間の普通773、772列車がルーツのようだ。
大正18年に急行601、602列車となり、一時期は上野~金沢~大阪で運転されていた。
戦時中に運行が休止されるが昭和22年に復活、昭和25年には『北陸』の愛称が付けられた。
その後、急行『黒部』を統合し、急行『北陸』は季節運転を含めて二往復の設定となる。
昭和50年、季節運転の方は格上げされて特急『北陸』とし、定期運行は愛称を変えて急行『能登』となる。
昭和57年からは14系寝台車+座席車の編成となり、信越本線経由に変更。
平成5年には客車での運行をやめ、489系電車に置き換えられた。
平成9年、横軽廃止によって上越線経由に戻る。
急行列車が次々と消え去る中でも『能登』は生き長らえ、定期運行を廃止したのは平成22年のことであった。
臨時列車としての運行は続けられたが、平成24年冬の運行を最後に設定がなくなった。
平成27年春からは北陸本線の一部が第三セクター化されたことにより、事実上直通運転は不可能となっている。
最後になったが、かつて東京~金沢間を米原経由で結んだ急行『能登』があった。
『能登』は相異なる二大ルートをそれぞれ走破したという、北陸きっての名列車だったのである。










【昭和54年頃の運行時刻と編成】

能登 3603レ 上野21:48 → 金沢 6:58
能登 3604レ 金沢21:07 → 上野 6:38


←上野                                                                金沢→

スニ41 オロネ10 オハネフ12 スハネ16 スハネ16 スハネ16 スハネ16 スロ62 オハ47 オハ47 オハ47 オハ47 スハフ42











能登 3604レ  東北本線 王子~尾久間
(EF58の次位は現金輸送車マニ30)
















能登 3604レ  東北本線 王子~尾久間




















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