昭和22年、大阪~青森間に急行列車が新設、昭和25年には『日本海』の愛称が付けられた。
当初は24時間以上を要したが、昭和31年の北陸本線電化により22時間50分となる。
『きたぐに』の愛称は金沢~新潟間を結んだ急行に使われており、
大阪~青森間の列車となるのは昭和43年のことであった。
新たに設定された寝台特急に『日本海』の名が冠され、従来の急行は『きたぐに』に変更された。
急行『きたぐに』の歴史上、最も悲惨な出来事は昭和47年に発生した北陸トンネル火災事故である。
青森行『きたぐに』が北陸トンネル走行中、食堂車からの発火により炎上。
トンネル内で緊急停止したため被害が甚大となり、死者30名、重軽傷者714名を出す事態となった。
列車火災が発生した際、場所に関わらず即座に停止させるのが当時の規定であったが、結果的にはこれが仇となった。
実は昭和44年にも北陸トンネルに於いて、大阪行の特急『日本海』が火災事故を起こしている。
この際は機関車次位の電源車から発火、機関士はトンネル内停止は危険であると判断し、
運行規程を無視して走行し、トンネルを出たところで列車を停めて消火作業を行った。
被害は電源車のみで延焼はせず、けが人等も発生しなかった。
しかし機関士は規定違反であることから処分を受け、運転業務から外されたという。
件の「火災発生の際は場所に関わらず緊急停止」の規則も見直されることはなかった。
もしも日本海事故の教訓が生かされて規定を変更していたなら、あの大参事は避けられたであろう。
急行『きたぐに』は、昭和57年に大阪~新潟間の運転に短縮された。
新潟~青森間は昼行列車としての要素が高かったため、この区間は特急に格上げして分離されたような形である。
昭和60年には583系寝台電車に置き換えられた。
583系を急行に使用した例は少なく、定期列車としては『きたぐに』と『津軽』だけである。
夜行急行としては比較的生き長らえ、定期運行は平成24年まで続けられていた。
その後は臨時での運行が予定されていたが、長続きはせず平成25年初頭を最後に廃止となった。
【昭和54年頃の運行時刻と編成】
きたぐに 501レ 大阪22:10 → 青森17:10
きたぐに 502レ 青森12:58 → 大阪 8:27
←大阪 新潟/青森→
荷 | 郵 | ① | ② | ③ | ④ | ⑤ | ⑥ | ⑦ | ⑧ | ⑨ | ⑩ | ⑪ | ⑫ |
マニ37 | オユ10 | スロ54 | スハフ12 | オハ12 | オハ12 | オハ12 | オハ12 | オハフ13 | オハネフ12 | オハネフ12 | オロネ10 | オハネフ12 | オハネフ12 |
⑧~⑫=大阪~新潟 マニ37は501レのみ
きたぐに 502レ 東海道本線 高槻~摂津富田間
Tweet
トップに戻る
夜行急行 目次に戻る