EF15


山陽本線









ボクは小学校時代の大阪在住時に鉄チャンデビューしました。
吹田のD51に魅せられたのがキッカケ。
でも、もともと鉄道が好きだったのでしょう、
阪急や国鉄に乗りまくって方々へ出掛けていました。
あと、列車を眺めるのも好きでしたねぇ…
家から自転車で10分くらいの踏切。
ふとした思いで彼の地へ行き、通り過ぎる列車を見て楽しみました。
そこは東海道本線の高槻~摂津富田間、色々な列車が行き交っていました。
その頃は優等列車も多かったですから、かなり見応えがありましたねぇ。
貨物列車は大半がEF60と65で、たまにEH10やEF66を見るくらい…

その後東京に引っ越してから、
茶色いEF15やEF10、13がウジャウジャ居るのにたまげました。
大阪では蒸気機関車や茶色の72系電車はさんざん見たのに、
EF15などの旧型電機とは全くの無縁…
EF15などは首都圏に集中し、関西では珍しい存在…
そんな印象がありました。

一度だけ訪れたセノハチで、山陽本線のEF15を撮影することが出来ました。
セノハチとは、山陽本線の瀬野~八本松間の通称です。
かつては『東の箱根・西の瀬野八』とも並び称された難所。
瀬野から八本松へ向かう上り線は、22‰の急勾配が続きます。
このため、上り列車は補助機関車を要しました。
蒸気機関車時代はC52、D52など、
そして電化後はEF59がセノハチの補機専用として従事していました。

セノハチを訪れたのは、勿論EF59が目当て。
しかし、思いもよらぬEF15との出会いがありました。
当時、山陽本線を走ったEF15は広島機関区所属だったようです。
運行区間やどのような列車を担当していたかなど、
とにかく詳しいことは全く分かりません。
本数は極端に少なかったと思います。
半日撮影していて、EF15が現れたのは僅か二度だけでしたから。
















アルバム
















EF15 153(広) 昭和32年 川崎車輛・川崎重工製
(後部補機は EF59 5+EF59 8)

瀬野~八本松間  昭和53年 7月 30日


















EF15 153(広) 昭和32年 川崎車輛・川崎重工製
(後部補機は EF59 5+EF59 8)

瀬野~八本松間  昭和53年 7月 30日


















EF15 153(広) 昭和32年 川崎車輛・川崎重工製

瀬野~八本松間  昭和53年 7月 30日


















本務機EF15 153をサポートしていたEF59 5+EF59 8の重連。
大型電機が重連で列車を押し上げる姿は、凄い迫力でした。

瀬野~八本松間  昭和53年 7月 30日


















EF15 109(広) 昭和29年 日立製作所製

八本松~瀬野間  昭和53年 7月 30日












【使用機材】



PENTAX MX












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