THEトロッコ 2021


③ 凱旋記念会















本当に出てしまった「立山砂防軌道」を持参し、懐かしの千寿ヶ原で記念会をやりませんか?
と、森川さんからお誘いをいただいたのは発行日直後だったと記憶している。

なんとも幸せなことだ。
念願の書籍を上梓し、そのお祝いをしていただけるなんて本当に恵まれていると思う。

メンツはかつて立山砂防軌道で共に暮らした、いや撮影した写真家の大西靖さん、
昭和60年のツアーに参加し、水谷の露天風呂を汚した(笑)某鉄道会社の重鎮、浅野忍良さん、
そして今回編集をしていただいたモデルワーゲン社主の森川幸一さんだ。
森川さんは愛妻家なので奥様も同伴される。

ボクらは新幹線でアクセスし、往路には糸魚川のチビロコに再会するという企画である。
立山砂防軌道を撮影していた頃は鉄道ならば夜行列車、クルマなら寄り道をしつつ、
いずれにしてもアクセスには相当な時間を要した。
その時の印象が強いためか、新幹線の所要時間が今一つピンとこない。それくらい早く着く。

一方の森川さんは愛車のジャグワーを操り、ご自宅の安曇野から駆けつける。
砂防博物館などで書籍を販売してもらうというミッションがあるため「立山砂防軌道」を20数冊と、
皆で宴のツマミにしようと砂防軌道のジオラマを持ち込んでくださるとか。
これは楽しみだ。

5月20日、ド平日の東京を7:52発の新幹線に乗り、
糸魚川に寄り道をしたうえで更に新幹線で移動し、富山に到着したのは13:15であった。

富山駅も随分と変わったものだ。
富山地鉄のエントランスも近代的になっていた。
あら? こんなんだったっけ? といった感じ。
しかし改札を抜け、地鉄のホームに入ると、思わず懐かしさがこみあげてくる。



梅雨空の下、電車は立山へと進んだ。
車窓には田植えが済んだばかりの水田が広がる。

かつて名鉄のキハ8000系によるアルペン特急がスイッチバックしていた寺田駅。
通る車両は異なるものの、駅の風情は昔のままだ。
こんな景色を見つつ、17歳の自分は心躍らせて立山に向かっていたんだなぁ~なんて思い出す。

立山駅の線路配置は昔のままだが、ホーム上に施設が増築されたため随分と印象が変わった。
駅前もキッチリと整備され、いかにも観光地への玄関口といった感じである。


その一角に千寿荘という宿がある。

かつて木造だった建物は改築されて立派になっている。
玄関先には既にジャグワーが横付けされていた。
ここに泊まるのは何度目だろう…

なんて思いながら名前を告げると、いきなり立山本の話題が出た。
実は前日の北日本新聞さんで拙著を紹介する記事が掲載されたのである。
これをご覧になったご主人、おかみさん、お嬢さんたちが次々と登場して話に花が咲いた。
本当にありがたいことである。

館内で森川さんと合流し早速ジオラマを搬入。
千寿ヶ原車庫とグス谷をモチーフにした二作品である。
当たり前であるが、そのクオリティにはため息が出るほど感動する。

車両たちも素晴らしい。
一両、また一両と線路上に置かれる度に身もだえてしまう。

模型もいいが、せっかくなので実物を拝みに出かける。

昔と違ってダイヤを把握しているわけではないのでトロッコがいつ現れるかは定かではない。
が、恐らく15時半から16時頃には
最後の人車が下って来るはずだという予測に妙な自信があった。

あいにくの雨降りで、それはシトシトといった控えめなものではなく、
ひたすらザーザー降りまくるといった感じ。
そんな悪条件でも自然と身体が動いてしまうのが不思議だ。

上方で聞きなれぬ警報音が鳴り、やがてモーターカーが下って来た。
その後もう一台のモーターカー、更に人車が二本やって来て、
我々はびしょびしょになりながらもこれらを撮影。
あくまでも「敷地外」からの瞥見であったが、この条件では致し方ない。
まあ、元気に走る姿を見られたので良しとしよう。


夕食は出版記念会ということで乾杯。
また、かつて砂防事務所でお世話になっていた方が昨年逝去されたため、
略式ではあるが献杯も兼ねさせていただいた。

その後も部屋に集結し、ジオラマを前に話が尽きない。
千寿荘のご主人も交えての四方山話が延々と続き、
お開きとなったのは間もなく日付が変わろうかという頃であった。













北日本新聞 2021年5月19日誌









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