日立鉱山に軌道が残っているらしい…
そう教えてくれたのは『知られざるナローたち』の共著者S君でした。
彼は全国の鉱山軌道をほぼ掌握していましたから、
鉱山のトロッコについては色々なことを教わった思い出があります。
日立鉱山と言えば日本有数の銅山として歴史が深く、
鉄チャン的にも物資と人員輸送に活躍した、日立鉱山鉄道が広く知られていました。
しかし銅鉱山としての繁栄は遠い過去の事であり、件の鉱山鉄道も昭和35年には廃止。
採掘量は減少の一途をたどり、訪問当時の鉱量は枯渇状態だったそうです。
その頃採掘用の軌道が稼働していたのか否かは定かではありませんが、
確か『日立鉱山で最後まで残った軌道』と聞いたような記憶があります。
今思えば、全てメモっておけば良かったなぁ…と後悔しています。
前夜、S君O君と合流し、クルマで日立を目指しました。
とにかく終始S君のリードによって行動していたこともあり、
軌道や運行について見聞したことを殆ど覚えていません。
かな~りヤバい状況ですが、とりあえずネガを追ってご紹介いたします。
「よっこらしょ」と、台車を軌道に載せて出発の準備です。 | |
坑木でしょうか、僅かな資材を積んでいますね。 |
さぁ~ 出発です!
この軌道は抗木土場と坑口付近の作業場、資材置場を結んでいました。
軌間は508mmと762mmの併用三線。
メインの採掘用軌道は恐らく762mmだったのでしょう。
資材運搬、枝分かれする採掘軌道が508mmだったと思われます。
かつて存在した日立鉱山鉄道とは接続していたのか…?
その辺は全くもって不明です。
機関車はスタンダードなニチユ製の2トン機。
次位に508mmの台車、その後ろに762mmの台車を繋げていますね。
この意図は全く判りません。
もしかして行先が762mm、508mm専用の軌道だから?
それとも、たまたまその辺にあった台車が二種類の軌間だったから?
今となっては知る由もありません。
ガラ~ンとした抗木土場。 広大な敷地から、かつての繁栄を窺い知ることが出来ます。 |
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二種類のゲージの台車が良く判ります。 | |
草に埋もれた側線がありました。 | |
砂利道の併用軌道。 | |
通りかかったトラックの人たちと暫し談笑。 | |
動いては停まり、それを繰り返してゆっくりと進みます。 | |
脱線!? いや、大丈夫でした…。 | |
長閑な鉱山トロッコ。 |
工作所でしょうか?
工作所を過ぎると、広い資材置き場に出ました。
ここも抗木土場と同じく、ガラ~ンとしていました。
かつては賑わっていたのでしょうが、閑散とした雰囲気。
まるでJR化後の操車場みたいです。
恐らく最盛期には多数の軌道が入り混じっていたのでしょう…
古めかしい施設建物を見ていると、そう感じてしまいます。
工作所には可愛らしい転車台がありました。 | |
建物内に入る軌道もあります。 | |
使われなくなった火薬運搬車。 | |
508mmゲージの軌道が採掘を行っていたという証し。 グランビー鉱車転倒用のダンプガイドが残っていました。 |
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508mmの軌道は坑道へと入っていました。 坑口上には植え込みで造った緑十字。 放置されたバッテリーロコが寂しげな風情です。 |
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坑内では如何なる作業が行われていたのでしょうか…? | |
鉱山軌道博士のS君と。 |
三線のポイントって複雑…
バケットローダー。 | |
!? 何の資材でしょうか…? | |
坑道から出て来たBL。 | |
ヘラヘラの軌道はナローフリークのツボ! |
全盛時代の軌道を見てみたかった…
帰り道。 | |
処によっては埋没寸前の併用軌道(笑) | |
行き交う人々は皆知り合い? | |
雨が降ったら「泥んこ軌道」になるでしょうね~ | |
ポイントは脱線多発箇所! | |
ま、なんとか通過して… | |
無事に抗木土場へと戻って来ました。 |
よく覚えていませんが、トロッコの運転は以上の一往復だけだったと思います。
抗木土場と資材置場は道路で繋がっているし、
軌道の存在意義があるのか否か、いささか疑問が残りました。
まぁ、なんとか現役最後の姿を見られただけでも良かったのかも知れませんが…
日立鉱山は訪問直後の昭和56年9月末日をもって閉山しました。
その後、軌道がどうなったかは定かではありません。
いつも後悔ばかりの鉄チャン歴ですが、
やはり訪問箇所では『一期一会』をもって真剣に取り組むべきですね。
この場所には二度と来ない、これが最後のチャンス!
と思って撮影、取材していれば、もう少し充実した内容になったはずです。
今更なんですけれどね…(苦笑)
撮影に協力していただいた日立鉱山の皆様と。
右からO君、S君、左端がボク。
ペンタックスMX
ペンタックスME super
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