夜行急行列車

列車名別懐古写真集









十和田
 TOWADA








急行『十和田』の起源をたどると、なんと明治39年にまで遡る。
現在の東北本線、常磐線などを開通させた日本鉄道が国有化される寸前、上野~青森間に初の急行列車が設定された。
当初の列車番号は801、802であったが、路線系統別に番号が整理された際、201、202となる。
この列車が、後年の急行『十和田』だ。
第二次大戦中は編成の縮小、運休などがあったが、昭和25年には運行を再開し、『みちのく』の愛称が付けられた。
一方、終戦直後から上野~札幌間に運行されていた連合軍専用列車『Yankee Limited』が日本人に開放され、
昭和29年には上野~青森と函館~札幌に分割し、連絡船を介して接続するダイヤが設定された。
この際、上野~青森間の列車に与えられた愛称が『十和田』である。
昭和33年以降、東北の列車は大きく変化し、発展してゆく。
昭和40年、『みちのく』は二往復の運行となる。
増発されたのは気動車を使用した昼行列車で、上野~青森~大鰐間の運行だった。
他の路線へ向かう急行と併結していた、いわゆる多層階建て列車である。
気動車『みちのく』は13両編成で上野を出発、小牛田で鳴子行2両、一ノ関で盛行『陸中』2両を分割。
更に花巻で宮古行『陸中』を3両、青森で4両を切り離し、最終的には2両で大鰐に達した。
分割した車両には別の列車が併結されるなど、気動車の特性を最大限に生かした列車だといえるだろう。
昭和43年、夜行の『みちのく』は『十和田』に統合され、気動車『みちのく』は存続した。
『十和田』は『みちのく』をはじめ、他の急行からの統合もあって昼行1往復、夜行4往復の運行となっていた。
更に不定期『十和田』を含めると、最盛期の昭和43年には全7往復もが設定されていたのである。
が、その後は寝台特急『ゆうづる』への格上げなどにより、徐々に本数は減少してゆく。
気動車『みちのく』は昭和45年に終了したが、昭和47年に昼行『十和田』を格上げして特急『みちのく』が誕生した。
『十和田』と『みちのく』は、このように関連性が非常に深い。
昭和53年頃の『十和田』は季節列車が1往復、定期運行が2往復となっていた。
定期のうち1本は20系寝台客車、もう1本は旧型座席客車、季節列車は14系座席車であった。
東北新幹線大宮暫定開業の際、12系座席車による1往復のみの運行となり、他の列車は廃止された。
そして東北新幹線上野開業では、すべての『十和田』が廃止となる。
最後まで残った『十和田』は、古来より受け継がれてきた伝統の列車番号201と201であった。








【昭和53年頃の運行時刻と編成】



十和田 2号 201レ  上野20:50 → 青森 9:07
十和田 2号 204レ  青森19:50 → 上野 7:25


←上野                                                           青森→

カヤ21 ナハ21 ナハ21 ナハ21 ナハネ20 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22






十和田 3号 203レ  上野23:21 → 青森11:40
十和田 1号 202レ  青森16:35 → 上野 5:20


←上野                                                                青森→

マニ36 オユ10 スハフ42 オハ46 スロ62 オハ47 オハ47 オハ46 オハ46 オハ46 スハフ42 オハ46 スハフ42















十和田2号 201レ  東北本線 上野駅


















かつて『動くホテル』と称された20系も、格落ちして急行での運用が多くなっていた。
ルーメットA寝台から改造された、普通座席車ナハ21の車内。





































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