房総東線 旧大網駅跡


撮影日=昭和51年 7月 1日(木)





明治29年、房総鉄道によって蘇我~大網間が開業しました。
ここで紹介する旧大網駅は、その際に開設されたものです。
後年、大原、勝浦へと延伸されてゆくのですが、
千葉方面~勝浦方面を行き来する列車は、大網駅で進行方向を換える必要がありました。
そのような線路配置になった理由は諸説あるようです。
開業当時に中心街だった地点に駅を設置したとか、
土気~大網間に急勾配があったため、これを避けるルートとして
千葉~成東~大網~勝浦方面をメインに考えていたなど、様々です。
いわゆるスイッチバック方式になるため、列車の運行上は大きなネックになっていました。
蒸気機関車牽引の列車は機関車交換、もしくは一旦解放して方向転換の必要があり、
気動車列車でも運転士が前から後ろへ移動するなど、それなりに時間を要しました。
県内随一の主要ターミナル、千葉駅でもかつては同様の状況でした。
東京方面~房総方面相互を運行する列車は方向転換の必要があったのです。
この問題は昭和43年に現在の千葉駅へ移転して解消。
大網駅も続いて昭和47年に移転し、房総東線のスイッチバックも解消しました。







現在の大網駅から東金方面へ向かう途中に旧大網駅がありました。
昭和51年の夏頃の時点で駅舎や施設が未だ残っており、
その様子を一度だけ撮影しに行ったことがあります。








旧大網駅の線路配置図


























当時の東金線には72系電車が活躍していました。
跨線橋が見えている所が旧大網駅です。



















駅舎と一番線ホーム。
かつては急行が発着していました。
駅弁の立ち売りもあったかな?































駅舎横の改札口です。
出口用だったと思われます。

































二番線、三番線ホームです。
房総東線の時刻表が残っていました。































構内には転車台がありました。
かつて、多くの蒸気機関車が使用したのでしょう。
廃墟と化した姿は寂しいものでした…




















転車台の横は地元の人たちの通路になっていました。



















蒸気機関車の給水、給炭施設が残っていました。
この状態なら蒸気機関車の復活運転も…
現在は…?






























アッシュピットです。
周囲のストラクチャーと共に、
模型レイアウトの手本になりそうな雰囲気でした。




















給炭台には『C57』の文字が残されていました。
これにはビックリ!
停止位置の表示でしょうか…?































線路が撤去されていた三番線。
軌条が積み上げられています。



















跨線橋はリニューアルされたものでしょうか?
全然旧さがなく、むしろ半端に新しい施設でした。



















手前のホーム屋根も新しいものですね。
電化の際に改築したのでしょうか?
駅舎は旧いままですが…



















駅舎内に放置されていた運賃表です。
東京競馬場前、氷川など、懐かしい駅名が見られます。





















タブレット閉塞時代の風情が残っていました。






























時折、静寂を破って72系電車が通り過ぎます。
ここに列車が停車しなくなって四年。
駅はどういう思いで通過する列車を見ていたのでしょう…

【1976年 7月 1日撮影】







旧大網駅での撮影を終え、東金駅へ移動しました。
当時、そこには九十九里鉄道の名残が見られたからです。
ボクは廃線跡とか得意ではないのですが、
何故かこの日は鉄道考古学のハシゴをしていたようで…
(・_・;)
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