フィリピン

ネグロス島

Negros
Philippines










マ・アオ製糖工場専用線  1981.3.13









フィリピン共和国は、南シナ海に浮かぶ大小7000以上の島から形成される群島国である。
そのうち約5000は無人島で、人間が居住するのは2000くらいとのこと。
世界的に権威のあるアメリカの旅行雑誌、コンデナスト・トラベラーによって
「世界最高の島」に選ばれたパラワン島もフィリピンの島だ。
最も大きな島は北に位置するルソン島で、首都マニラが所在する。
次に大きいのは南にあるミンダナオ島だ。
そして群島の中ほど、国際観光リゾートのセブ島に隣接するネグロス島が三番目の広さを誇っている。
島の名は、先住民族のネグリートからきているという。
シュガーアイランドの名がある程、かつては砂糖の生産が盛んだった。
一時はフィリピン国内で、サトウキビ生産高の50%以上をネグロス島が占めていたそうだ。
15の工場が点在し、サトウキビ畑には無数の軌道が敷かれ、蒸気機関車たちが活躍していたのである。

ネグロス島の蒸機機関車は日本の鉄チャン界でも周知の存在であり、実際に訪れる人も多かった。
でも、まさか自分が行くことになるとは…
1982年、当時お世話になっていた写真家の南正時さんも食指を動かされ、
海外の鉄道に詳しい映画評論家の畑暉男さんからの誘いもあり、訪問を決意された。
そして、南さんのアシスタントをしていたボクも、訪問メンバーに抜擢されたのである。
海外鉄は1978年の台湾しか経験のなかったボクは事情がサッパリ分からず、
訪問先や行程、チケットの手配などは全て「おんぶに抱っこ」のおまかせ状態であった。



今回のツアーメンバーはボクを含めて三名だ。
リーダーは鉄道写真家の南正時さん、その南さんを誘ったのが映画評論家の畑暉男さんである。
畑さんは古くから海外の蒸気機関車を研究、撮影してきた。
ネグロス島にも訪問経験があり、なんでも国賓並の待遇を受けたとか…(?_?)
その際の話を聞くにつれ、南さんが渡航の決心をしたという経緯であった。
そして何故かボクもメンバーに加わったという訳だ。
旅の内容は半分くらいしか覚えていないため、南正時著「世界一周時刻表の旅」を参考にさせていただいた。
75頁から98頁まで、この旅の様子が執筆されているのである。



1981年3月10日、乗り慣れた113系快速で成田駅に降り立ち、
DD51重連のジェット燃料輸送列車を眺めてから空港へと向かった。
この先は乗り慣れない国際線である
行き先がフィリピンなのに、搭乗するのはパキスタン・エアだ。
イスラム系の航空会社ゆえ、ヒジャブを被ったCAも居た。
あとは覚えていないが、機内食での酒類は提供されなかったのだろう。

日没後のマニラに到着し、雰囲気の良くない空港ロビーをすり抜けて外に出た。
ロビーから出てくる旅の者を狙い、タクシーの客引き合戦が始まる。
畑さん曰く、この客引きに引っかかってはダメ。
空港から離れた所でタクシーを見つけた方が安い、とのことだ。
しかし、空港から遠ざかるにつれて危険度は増すような気がした。
なんとかタクシーは見つかり、所望のホテルまで行くことが出来たが、正規価格の三倍くらいだったらしい。
畑さんは「空港のタクシーなんてサー、10倍くらいボルんだからサー、これはマシな方だよ」と言った。
なにしろ南さんとボクはフィリピン初体験。
そう言われれば、納得するしかなかったのである。
裏通りの小さなホテルに旅装を解き、明日からの撮影に備えた。








=製糖工場







1981年 3月11日
La Carlota



1981年 3月12日
Hawaiian Philippine



1981年 3月13日
Ma-ao
Talisay Silay




1981年 3月14日
Lopez
Victorias(馬車軌道)
Victorias




1981年 3月15日
Hawaiian Philippine
La Carlota




1981年 3月16日
Manila city
















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