国鉄&JR

客車列車





鉄道輸送の原点は『機関車が客車または貨車を牽引する』というスタイルで、
これを『動力集中方式』と称し、対峙するものとして『動力分散方式』があります。
日本では明治初めの鉄道開通から長年に渡って『動力集中方式』が一般的でした。
しかし明治の終わり頃、米国のインターアーバンに影響を受けた電鉄会社が多く設立され、
その成功が追い風となって動力分散式の電車が発展してゆきます。(詳細は別項にて)
大都市近郊では機関車牽引の列車よりも、電車の方が合理的且つ能率的でした。
一方、ディーゼルエンジンが用いられる気動車の発展は戦後になってからでしたが、
昭和30年代以降の無煙化を機に急激な発展を遂げました。(詳細は別項にて)
こうして日本では『動力分散方式』である電車や気動車が主流となり、
機関車が牽引する客車列車は昭和50年代後半から急速に減少してゆきました。
かつては長距離列車や地方の列車は大半が機関車牽引の客車であり、
それが旅の情緒でもあり、鉄チャン的撮影対象でもあったのですが…
この項では多種多様な客車列車をランダムに掲載してゆきます。
ブルートレインや急行など、他にジャンル分けしてあるものも混合し、
適宜リンクによって接続できるよう設定しておきますのでご利用ください。











アルバム













長崎本線 多良~肥前大浦間  昭和54年 4月

新大阪発長崎行きの急行『雲仙』です。
途中の肥前山口までは、佐世保発着の『西海』を併結していました。
寝台車が無いオール14系座席車の編成。
ポツンと1両だけ連結された荷物車が中途半端な感じです((+_+))
ED76



(マミヤC330 プロフェッショナルF)













播但線 福崎~溝口間  昭和53年 2月

凍てつく冬の朝、通勤列車がやって来ました。
ほんの数年前まではC11型蒸気機関車が牽引していた列車です。
ローカル線の区間運転でさえ8両という編成…
鉄道輸送がまだまだ頼られていた時代でしたね。
DE10




(マミヤC330 プロフェッショナルF)












函館本線 小樽駅  昭和55年 1月

水銀灯に光る雨に濡れた構内、スハフ32の白熱灯が旅情を引き立てます。
幾度も見かけた、さりげない駅の様子。
このテの写真は極端に少ないのが残念です…((+_+))

ED76(500)



(マミヤC330 プロフェッショナルF)













鹿児島本線 上田浦~肥後二見間  昭和54年 4月

蒸機時代、この界隈で撮ったことのある鉄友のS原さんから
『上田浦はいい所だよ~』と教えてもらい、撮影に来ました。
当時は急行、特急が頻繁に運行されており、
普通列車は客車や気動車もあってバラエティに富んでいました。
ED76



(マミヤC330 プロフェッショナルF)













函館本線 上目名~目名間  昭和55年 1月

上目名駅から撮影場所を求めて歩くものの、吹雪に苛まれ、
新雪に足を取られて思うように動けず、遂に急行『ニセコ』の通過時刻…
慌てて準備をすると、やがて轟音と共に『ニセコ』がやって来ました。
かつてはC62重連で名を馳せた急行『ニセコ』ですが、
DL牽引になってからも圧倒的な存在感は健在でした。
DD51 710+DD51



(マミヤC330 プロフェッショナルF)
















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