国鉄&JR

気動車列車







日本における気動車の本格的な発展は、第二次世界大戦後です。
特に昭和20年代後半にディーゼルエンジン、燃料供給装置、
液体変速機の技術向上により、昭和30年代にかけて飛躍的な普及を遂げました。
当時、主要幹線は未だ非電化区間が多く、
それまでの蒸気機関車牽引の列車に比較し、格段に優れた性能を発揮して
昭和40年代半ばにかけて全国的に大量導入が続けられました。
最盛期の国鉄では5000両以上の気動車を保有していたと言われ、
ローカル列車から特急まで幅広い活躍が全国で見られました。
しかしその後は電化区間の延伸などによってその数は次第に減少してゆき、
現在では一部の幹線、亜幹線で気動車特急が残存している他は
大半が閑散非電化路線、いわゆるローカル線で運用されているだけとなっています。

斜陽の一途だけではなく、近年では様々な仕組みを備えた高性能気動車が出現しています。
JR東日本のキハE200系はディーゼルエンジンで発電機を駆動、
制動時などの充電も加えた蓄電池と組み合わせて電動機を回転させる
ハイブリッド気動車が試験的に運用されています。
JR北海道のキハ283系、JR西日本のキハ187系、JR四国の2000系などは
曲線区間での減速が抑えられる振り子式と強力エンジンの採用により
営業最高速度が120~130km/hという高性能ぶりを発揮しています。
JR北海道のキハ201系は、電車との併結と協調運転が出来るという変わり種。
更には鉄道と道路を直通させるDMV(デュアル・モード・ビークル)というシステムがあり、
現在は自動車改造の車両で実験が重ねられていますが、
実用化の目処が立てば新型気動車の開発も図られてゆくことでしょう。

しかし、ボクら鉄チャン的にターゲットとなる気動車はもう殆ど現存していません。
辛うじて残存する国鉄型も見慣れぬカラーに変更されてしまって幻滅…((+_+))
『いいな~!』と思うのは小湊鉄道、いすみ鉄道くらいかしら…。
ここでは魅力ある気動車列車が活躍していた懐かしい姿を紹介してゆきます。
特急や急行など、他にジャンル分けしてあるものも混合し、
適宜リンクによって接続できるよう設定しておきますのでご利用ください。















アルバム











鹿児島本線 上田浦~肥後田浦間  昭和54年 3月

583系や485系が颯爽と駆けていた有明海沿いの路。
普通旅客列車には客車、電車、そして気動車が運用されていました。
キハ25を先頭にキハ20、キハ16と連なっています。
モチロン全て非冷房車(笑)
そんなことも当たり前だったんですけれどねぇ~


(マミヤC330 プロフェッショナルF)




















東北本線 貝田~藤田間  昭和55年 4月

この日は花曇りでパッとしない陽気。
オマケに黄砂も飛来していて視界が悪く、撮影しづらい状況でした。
桃の花咲く路をやって来たのは短編成の急行列車。
懐かしい緑帯のキロと先頭のキハ58には指定席のサボが掲出されています。
この編成をもとに何の列車かを調べましたが特定できませんでした。



(マミヤC330 プロフェッショナルF)



















函館本線 野田生~落部間  昭和55年 5月

かつて非電化路線の花形だったキハ82系特急型気動車。
これは函館~札幌を結んでいた特急『北斗』、食堂車とグリーン車を含む10両編成です。
この頃、北海道を駆けていた特急列車には貫禄がありました。



(アサヒ ペンタックス 6×7)




















高山本線 撮影場所不詳   昭和56年10月

非電化路線では掃いて捨てるほど走っていた気動車急行。
特に撮影対象にもならず、地味な存在でした。
歳月が流れ、改めて見るとなかなかいいもんですね。
急行『のりくら』でしょうか…?



(アサヒ ペンタックス 6×7)



















名松線 撮影場所不詳  昭和56年

近鉄特急を撮影した帰り、ふと立ち寄ったのが名松線でした。
終点伊勢奥津と何処かしらで撮った記憶はかすかにあるのですが…
朱一色の車両が激増し、外観が損なわれてしまった頃ですね。
せっかくのキハ55も朱色のキハ40とペアではねぇ (-_-;)



(アサヒ ペンタックス 6×7)











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