夜行急行列車

列車名別懐古写真集









かいもん
 KAIMON







昭和22年、戦後の混乱期に東京と門司を結ぶ急行列車が運行を開始した。
その後運転区間を博多まで延ばし、昭和25年からは『筑紫』の愛称が冠される。
昭和28年『筑紫』は更に延長し、東京~鹿児島間の列車となった。
この列車は東京を21:30に発車し、鹿児島に到着するのは翌々日の5:48であり、
所要時間32時間以上、実に二晩を費やして走破していた。
昭和31年からは、列車名が『さつま』となる。
長距離列車らしく、一等寝台、特別二等、二等、三等座席、食堂車を備えた編成であった。
昭和33年、東京~西鹿児島間の寝台特急『はやぶさ』の運行開始に伴い、
急行『さつま』は門司港~鹿児島に短縮され、編成もグレードダウンしてしまう。
この際、列車番号は101レ、102レとなり、のちの『かいもん』に引き継がれてゆくこととなる。
が、昭和36年からは運行区間が変わって名古屋~鹿児島間の急行となった。
『かいもん』の愛称が最初に使われたのは、昭和34年から運行を開始した博多~鹿児島間の準急列車だった。
昭和40年『さつま』は再び短縮され、門司港~西鹿児島間の運行となって愛称を『はやと』に変更。
また、準急『かいもん』は急行に格上げされた。
更に昭和43年には『はやと』は『かいもん』に統合され、昼行2往復、夜行1往復の急行となる。
その後、西鹿児島に発着する鹿児島本線の急行が『かいもん』に統合された。
昭和53年には、夜行『かいもん』を20系寝台客車+12系客車に置き換える。
全国的に主流となっていた急行の特急化の波に押され、昭和55年に昼行『かいもん』は全て特急『有明』となった。
昭和61年、20系客車の老朽化により24系25形寝台客車に置き換え、24系+12系の組み合わせとなる。
門司港~西鹿児島間を日豊本線経由で結ぶ急行『日南』と共に、九州内夜行急行としての活躍を堅持していたが、
平成5年3月のダイヤ改正を機に特急への格上げが実施された。
急行『かいもん』は、787系電車の特急『ドリームつばめ』となり、運行区間も博多~西鹿児島間に短縮。
所要時間が変わる訳でもなく、寝台車がなくなることによりサービスは低下、単なる合理化目的の愚策であった。








【昭和54年頃の運行時刻と編成】

かいもん4号 101レ 門司港21:39 → 西鹿児島 6:16
かいもん4号 102レ 西鹿児島22:08 → 門司港 7:24


←西鹿児島                                       門司港→

オユ14 マニ50 スハフ12 オハ12 オハ12 オハフ13 スハフ12 ナハネ20 ナハネフ22


















101レ かいもん4号  鹿児島本線 門司港駅

















102レ 『かいもん4号』  鹿児島本線 門司駅






















トップに戻る




夜行急行 目次に戻る


inserted by FC2 system