東洋活性白土

所有事業所=東洋活性白土㈱
運行区間=工場~国鉄積換ホーム 700m
軌間=610mm




今思えば奇跡的な、そして夢のような軌道でした。
ナロー軌道でさえ希少なのに、なんと蒸気機関車が活躍している…
そんな光景が昭和50年代半ばまで見られたのです。
最初に訪れたのはナローに開眼しかけていた昭和51年のこと。
尾小屋、立山、その他私鉄などとの掛け持ちで北陸を巡った旅でした。
それから数回訪れる機会に恵まれましたが、
本格的にナローフリークとなった後は立山などをメインに探求したため、
北陸まで足を運んでも白土に立ち寄ることは少なかったです。
なんとも勿体ない…

東洋活性白土は、その名の通り『活性白土』を製造する工場。
フォッサマグナとヒスイで有名な新潟県糸魚川市にありました。
鉄チャン的にはナロー蒸機が活躍することで古くから知られておりましたが…
へ? 活性白土? なんじゃ、そりゃ??
と、最初は思いました(笑)
活性白土とは、油類の精製、脱色などに使われる粘土の一種だそうです。
軌道は製品の搬出が主な役目で、時折燃料の重油を搬入することもありました。
まる一日居れば、3~5往復の列車を撮れたように記憶しています。

そんな東洋活性白土の軌道が廃止される?!
そんな情報が入ってきたのは昭和57年の秋でした。
『えっ? まさか…?』
という気持ちのままRX-3を操って糸魚川へ向かった日のこと、
よく覚えています。

晩年、ナロー軌道の『お宝』を多数所有し、
白土を本拠地として保存活動に携わっていた羅須地人の皆さんは
その後活動場所を千葉県成田市に移して益々盛況の様子です。
白土の1号機も修復中だとか… 今後は2号機も是非…(^.^)/~~~
あの『夢のような軌道』は形を変えたものの
未来へと継承されてゆくような気がしています。





【歴史】

大正14年 
前身の水神白土が酸性白土の採掘を開始

昭和11年
東洋活性白土設立

昭和25年?
運搬軌道開通 1号機導入

昭和31年
2号機新製導入

昭和47年
羅須地人さんが基隆炭鉱の蒸機を搬入

昭和57年
会社解散 軌道廃止




【主な在籍車両】

1号機
8t Bタンク蒸気機関車
製造所、製造年不明
もと不二越鋼材


2号機
5t Bタンク蒸気機関車
昭和31年 協三工業製





《訪問日》

昭和51年 8月 4日 1


昭和51年 8月 4日 2


昭和52年 8月 9日







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