郡一炭鉱




撮影日=昭和60年 2月 7日(木)







月刊レイルマガジンが創刊されたのは、昭和58年のことです。
縁あって、創刊号から「THEトロッコ」という記事を連載しておりました。

ナロー軌道など見向きもされなかった当時、冒険的でもあった企画を考案してくださったのは故長谷川章さん。
そして懐深く受け止めていただいたのは企画室ネコ(当時)の社長、笹本健次さんでした。

当時のトロッコ界は閉鎖的で、軌道の存在は「言わない・見せない・教えない」が大鉄則。
いわゆるヲタク、ネクラの巣窟であったことは否めません。

そんな状況に一石を投じた革命的な企画が「THEトロッコ」だったのです。
ナロー軌道って楽しいんだよ!ということを伝えたい…
その思いが叶ったのです。

当初は「3回もたないだろ?」などとも言われましたが、おかげさまで周辺の予想をみごと裏切りました。
ありがたいことに「THEトロッコ」は大ウケし、好評のうちに連載は続いたのです。



しか~し!
連載が続くということは、ネタが底をついてしまうという弊害もあり…
もともと多くの軌道を巡っていた訳ではなかったため、持ちネタにはやや低めの限度があったのです。
それは共著のトロ鉄友やっちゃんも同じでした。

掲載を隔月にする、少し休むという要求を出したものの
「続けなさ~い!」
とのお達し。


こいつはヤバい(-_-;)
ということで、ネタ集めの旅に出ました。




向かったのは真冬の東北。
炭鉱の手押し軌道、鉄鉱山のTL、そして508mmのDL…
ヴァラエティに富んだメニューです。
ここで一気にネタを仕入れ、連載を持ちこたえさせようという寸法です。








上野駅から急行「津軽」のB寝台に乗り、早朝の新庄駅に到着しました。
各駅停車で一駅戻り、降り立ったのは舟形といという小さな駅。
ここから近い最上川の傍に、手押しの軌道があるというのですが…

当時の情報ですから具体的ではありません。
正確な地図や資料がある訳でもなく、尋ね歩きながら辿り着いた処は小さな炭鉱でした。










雪に埋もれる軌道を発見!
聞いていた通り、河畔の軌道でした。
この繋ぎ目って…(・_・;)
トロッコは???












到着したのが8時頃だったでしょうか、炭鉱は稼働し始めたばかり。
しかし、人影はあるもののトロッコは見当たりません。

あれれ?
まさか軌道は使わなくなっちゃった???
なんて心配をしていると、ガラガラと動き始めました。











トロッコ登場!












重そうですね…(*_*;
静々と進みます。







郡一炭鉱は亜炭が採掘されており、搬出とズリ捨てのために軌道が使われていました。
動力車は存在しません。
斜坑の移動は巻き上げロープ、その他は人力でトロッコを動かします。
軌間は508mmで、軌条は3kgくらいの細いものでした。







ズリ捨て場です。
作業員が加勢し、トロッコを…
「てこ」で持ち上げて…
転倒させました。
降ろす、と言うよりも「ひっくり返す」とした方が適切かも知れません。









軌道は坑内から斜坑で地平に至り、選炭場を経て二か所のズリ捨て場まで延びていました。
道路の下をくぐる軌道もありましたが、その先どこまで達していたのかは不明です。
空のトロッコが入ってゆくのが写されていましたから、第二の坑内があったのかも知れません。








この先は???
ポイントというか…(+o+)
坑内に送るのでしょう、坑木を積んでいます。
ひたすら人力で…









亜炭とは石炭の一種で、炭化度が低いものを指します。
東北地方は国内屈指の亜炭埋蔵量を誇り、各地に零細な炭鉱が点在しました。
亜炭は熱量が少ないため工業用には適さず、もっぱら家庭用燃料として利用されていたそうです。
エネルギー流体革命の影響で、昭和30年代半ばには亜炭の需要は激減しました。
この当時でも、残存していた亜炭鉱は珍しかったのではないかと思います。










こんな風景が残っていたのも奇跡です…








郡一炭鉱の詳細については、分からないことだらけです。
訪問の際に色々と聞いたはずなのですが、困ったことに記録がありません。
ネット検索をしても、ここについての記事は皆無でした。








◆採掘~選炭◆

運炭車を斜坑へ降ろします。
残念ながら坑内の撮影は出来ませんでした。
巻き上げロープにより、亜炭満載のトロッコを引き上げます。
「落穂ひろい」ではありません(・_・;)
一応選炭作業なのです…
製品となる亜炭は袋詰めされ、不要部分はズリとして廃棄されます。







そして、ズリを載せたトロッコが表に出て来ます。







この作業が繰り返されていました










ズリ捨てはトロッコをひっくり返して…
また戻ります。
河畔の素晴らしい景色(^^)/
ポイントだって、ちゃんとありました。
時には続行運転?もあったりして。















どう見ても鉱山という感じはしません…













運炭車って何両あったのかしら…(?_?)
それにしても短いホイールベースだこと…
詰所の神棚。
気のせいか、「家内安全」のお守りのような…(゜_゜)
ここでお茶を呼ばれました(^^♪








国内に存在した軌道の中で、実は手押し軌道が最も把握しづらいカテゴリなのです。
自分としても、動力車が無いと興味半減なのが正直なところ。
なので、積極的に探索しませんでした。

でも、郡一は最上川を望むロケーションが素晴らしく、非常に印象的な軌道のひとつとなりました。
結局、訪問したのはこの時限り。
その後閉山され、施設や軌道は土に還ったと聞きます。











おっと… 滑落寸前(゜_゜)
なにごともなかったかのように…
人知れず働いていた軌道。
ひっそりと消え去ってしまいました。


















雪景色 軌道の轍 最上川







郡一炭鉱の軌道は、レイルマガジンに掲載されたことで世に出ました。
一部のナローフリークの間では伝説となり、廃墟探訪に出かける方もおられるとか。

誌上では一部の写真しかお見せできませんでしたが、この頁では撮影数の半分近くをご紹介できました。
未だ興味を抱かれる方々にとりまして、少しでもお役にたてられるならば本望です。












(^O^)/
























郡一炭鉱の訪問を終え、次なる目的地に向かって移動です。
舟形から奥羽本線を北上し、横手から北上線、そして北上、花巻経由で釜石線に乗りました。
翌日は釜石鉱山などで撮影するため、当日中に釜石まで行く必要があったのです。




舟形駅。
当時、旧客を淘汰していた50系客車ですね。
新庄駅です。
DE15ラッセルが停車していました。
北上線の陸中川尻駅。
乗っていた気動車が、DD51重連の貨物列車を退避しました。
北上駅だと思います。
停車しているのは釜石線の貨物列車でしょうか。






釜石に到着したのは何時頃だったのか…
駅近くの宿に旅装を解き、小料理屋で一杯やったことは覚えているのですが…



翌日の様子は ↓ 下のボタンからどうぞ!













翌日の新日鐵釜石へ



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