山手貨物線は鉄道貨物輸送が盛んだった頃、
都心の隠れた大動脈として機能していました。
そもそも山手線は、東海道本線と東北本線を連絡するという役目を担い、
品川~赤羽間の「山の手」に敷設されました。
その後延伸を繰り返し、様々な運行形態を経て、
大正14年には現在のような環状運転を開始。
そして貨物輸送量の増大により客貨分離が必要とされ、
昭和初期にかけて並行する貨物線が整備されてゆきました。
更に昭和30年代になると山手貨物線の輸送量も限界に近づき、
首都圏郊外の環状貨物線が着工され、昭和48年に武蔵野線として開業。
その後は貨物線としての役目が薄れ、次第に旅客路線へと転用されつつあります。
現在では埼京線や湘南新宿ラインなどがメインとなり、
貨物列車は日に数往復が設定されるのみとなりました。
EF15が活躍していた頃の山手貨物線は活気に満ちていました。
そんな懐かしい様子をご紹介しましょう。
EF15 84(高二) 昭和29年 三菱電機・新三菱重工製
田端(操)~駒込間 昭和53年 6月 6日
EF15 166(高二) 昭和33年 日立製作所製
駒込駅 昭和53年 6月 7日
EF15 83(新) 昭和29年 川崎車輛・川崎重工製
代々木~原宿間 昭和53年 6月 12日
EF15 13(八) 昭和26年 日立製作所製
恵比寿~目黒間 昭和53年 6月 10日
EF15 80(東) 昭和29年 東京芝浦電気製
目黒~恵比寿間 昭和53年 6月 10日
EF15 30(東) 昭和22年 三菱電機・三菱重工製
恵比寿駅 昭和53年 6月 12日
EF15 30号機は角ばった短いヒサシ、デフロスタが目立って
独特の面構えをしていました。
荷2935レでも出会うことが多く、最も印象深いEF15でした。
EF15 37(高二) 昭和27年 三菱電機・中日本重工製
原宿駅 昭和53年 6月 23日
EF15 47(高二) 昭和27年 日立製作所製
代々木~原宿間 昭和53年 6月 13日
EF15 177(新) 昭和33年 東京芝浦電気製
原宿~渋谷間 昭和53年 6月 17日
暑い日には貫通扉を開放して運転する姿が見られました。
運転室に冷房など無かったですから…
現在では問題になりそうですが(笑)、のんびりした時代でしたね。
EF15 59(高二) 昭和28年 三菱電機・新三菱重工製
代々木~原宿間 昭和53年 6月 12日
新宿副都心ビルをバックに撮影出来そうな場所を発見。
確かマンションだったと思うのですが、
ここは簡単に立入許可が下りませんでした。
幾度か訪れてしつこく交渉した結果、
僅かな時間だけの立入が認められたという経緯があります。
EF15 170(東) 昭和28年 三菱電機・新三菱重工製
田端~駒込間 昭和53年 6月 7日
EF15 38(高二) 昭和27年 三菱電機・中日本重工製
原宿~渋谷間 昭和53年 6月 17日
EF65PFの次位で zzz…(?_?)
こういう重連の時って、運転操作はどうなっているのでしょう?
EF15 193(新) 昭和30年 川崎車輛・川崎重工製
原宿駅 昭和53年 6月 23日
EF15 30(東) 昭和22年 三菱電機・三菱重工製
恵比寿駅 昭和53年 6月 12日
夕方、ゆっくりと貨車を牽き出して出発してゆく30号機。
この頃の恵比寿駅は貨物取扱量が多かったせいか、
入換用のDD13も居ました。
EF15 88(高二) 昭和29年 日立製作所製
原宿~代々木間 昭和53年 6月 12日
中央本線のガードをくぐり、代々木~新宿駅構内へと進入します。
7枚上のEF15 47の縦位置写真も同じ場所、振り返った反対側です。
EF15 45(八) 昭和26年 川崎車輛製
代々木~原宿間 昭和53年 6月 12日
上の写真の中央本線ガード付近を俯瞰した様子です。
右が代々木側、左上の鉄橋は山手線です。
EF15 30(東) 昭和22年 三菱電機・三菱重工製
代々木~原宿間 昭和53年 6月 12日
同じ踏切を道路から撮りました。
先頭に小型トラックが停まってしまい、邪魔…(+o+)
RX7が懐かしいですね~♪
【使用機材】
PENTAX SP-F
PENTAX MX
PENTAX KM
PENTAX ME super
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