EF15


高島貨物線








高島貨物線は東海道本線の貨物支線で、
かつては都心で最後の蒸気機関車が活躍した路線として知られていました。
高島貨物線、またそれに接続する貨物線の歴史は古く、
明治五年に開業した我が国最初の鉄道ともリンクしています。
当時は船舶輸送が主流であり、鉄道を港湾地域へ延伸し、
海陸輸送連絡を図るという目的もありました。
当初は本線から支線を分岐させて港とを連絡していましたが、
輸送量増大により並行する別路線が必要とされ、
大正四年に鶴見~高島間が開通しました。
これによって京浜地区の鉄道では客貨分離がなされ、
昭和初期にかけて臨港地域の路線が整備されていったのです。

昭和45年に電化されるまではD51などの蒸気機関車が活躍し、
先輩諸兄の善きターゲットとなっていたようです。
しかしボクら世代は既に電気機関車が主力の時代。
EF13やEF15を求め、幾度か足を運んだものです。
撮影の際は京浜東北線や京浜急行の駅で降り、
港湾地域へ向けて歩いて行きました。
とにかく空気が澱んでいたことを覚えています。
それでもめげずに撮影地を探して歩きました。
港湾職員相手の怪しげな食堂でメシを食べたり、
知らないうちに立入禁止地帯に侵入して怒られたり、
なんだか変てこな思い出ばかりが残っています。
















アルバム
















EF15?(ナンバー不明)

入江~東高島間  昭和53年 6月 21日


















EF15 166(高二)  昭和33年 日立製作所製

東横浜~高島間  昭和53年 6月 20日




三菱重工横浜造船所前の踏切です。
道幅が広い割に遮断機が無かったためか、列車通過時は警手が出ていました。
この踏切は、高島町交差点から埠頭方面に入って直ぐの所です。
複線のように見えますが、左の線路は東横浜駅~山下埠頭方面、
EF15の走る線は桜木町~根岸線へと通じる単線並行区間です。
この方向の反対側は高島駅で、振り返ると広いヤードが見渡せました。
横浜機関区はその左手にあったと思います。
ご存知の通り、この界隈は再開発で激変しました。
高島駅は跡形も無く、貨物線は地下化されています。



















EF15 103(高二)  昭和29年 三菱電機・新三菱重工製

高島~東高島間  昭和53年 6月 20日


















EF15 173(新)  昭和33年 日立製作所製

入江駅  昭和53年 6月 20日


















EF15 125(高二)  昭和30年 三菱電機・新三菱重工製

入江~生麦間  昭和53年 6月 20日




子安の新日石プラント入口踏切です。
確か、踏切を渡ると怒られたような記憶が…
鶴見線なども同様でしたが、
この界隈は公道と施設との境界が良く判りませんでした。



















EF15?(ナンバー不明)

東高島~高島間  昭和53年 6月 21日



第一京浜から山内埠頭、横浜中央市場へと通じる道路。
この雑なクルマの停め方は何でしょう?
最近ストリートビューで観察したところ、
鉄橋などは現在もあまり変化が無いようです。



















EF15 185(新)  昭和33年 三菱電機・新三菱重工製

高島~東高島間  昭和53年 6月 21日




この踏切も当時と変わらぬ佇まいで残されているようです。
正面の『蔦金』も健在です(笑)
この列車は次位にEF65PFを連ねていました。



















EF15 103(高二)  昭和29年 三菱電機・新三菱重工製

高島~東高島間  昭和53年 6月 20日



これは大野町から山内埠頭への道路橋からの撮影です。
5枚上の倉庫狭間も、ほぼ同じ場所で撮りました。
現在、倉庫だった場所には高層ビルが林立しています。
この道路橋は変わらないようですが、周辺は激変しました。


















EEF15 123(高二)  昭和30年 東京芝浦電気製

入江~生麦間  昭和53年 6月 20日













【使用機材】


PENTAX SP-F



PENTAX MX



PENTAX KM



PENTAX ME super












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