国鉄&JR

電車列車








最近では、鉄道の列車のことをやたら『電車』と称することが増えてきました。
昔は地方へ行くと、みんなが『汽車』と呼んでいて情緒があったものですが、
現在では駅員までもが
『●番線、電車入りま~す ご注意くださ~い!』
と言って気動車が進入してくる…
という納得のゆかないコトが当たり前のように起きています(ー_ー)!!
そもそも『電車』とは『電動客車』の略称であり、
その他のシステムで運行される列車のことを『電車』と呼ぶのは間違い!

ブルトレ利用客が『寝台電車に乗って~♪』って言うのは最悪!
ディーゼルカーを電車扱いするなー!
ましてやSL人吉に乗るのに『電車の時間は…?』なんて言ったら死刑!
…なんて拘るのは鉄チャンだけかしら(?_?)


日本に於ける電車の創始は明治28年の京都。
京都電気鉄道による街路を走る路面電車が開業したのが最初でした。
それまで馬車軌道を用いていた各地で次々と電車が登場してゆきます。
世界的に見ても電車の創生期は路面電車から、というのが主流でした。

路面電車が普及してゆくにつれ、市街地の一般路線にも電車を導入しようという気運が高まってきます。
また、明治後期になると米国のインターアーバン(都市間電気鉄道)の影響もあり、
阪神電気鉄道、京浜電気鉄道、名古屋電気鉄道、京阪電気鉄道など、
現代に至る代表的な民営鉄道が、電車の運行による鉄道経営を成功させました。

大正、昭和になると、それまでは輸入に頼っていた電車の機器類を
徐々に国産化してゆき、工業水準を向上させてゆきました。
大都市では機関車牽引の国鉄列車に対抗し、
並行する私鉄は高速電車を運行させて競合するという図式も発生。
国鉄では当時の情勢から、有事の際に変電所を攻撃されると…
という理由で幹線の電化には二の足を踏んでいたという説もありますが、
東京や大阪では中短距離の電車が拡充してゆきました。

第二次大戦直後は空襲の影響などで電車の運行がままならず、
電車が客車代用として蒸気機関車に牽引されるという珍事も見られたようです。
しかし、周知の通り日本は飛躍的な復興を遂げ、
全国規模で幹線の電化が推進されてゆきました。


現在、日本の鉄道では電車が主流となっています。
非電化路線では気動車が活躍しています。
欧州などでは機関車が客車や貨車を牽引する『動力集中方式』が定番ですが、
日本では電車や気動車などの『動力分散方式』が定着しました。

貨物列車は別として、既に客車列車は一部の夜行を除いて定期運用は無し、
昔人曰く『汽車』は絶滅しようとしています…(T_T)/~~~
全国、何処へ行っても電車と気動車ばっかり。
世界的に見ても、動力分散方式が主流となっているのは稀有な例だそうです。
鉄チャン的には集中方式の方が好みなんですけれどね…

とは言え、現在に比べれば昔の電車は魅力的だった…
…という電車列車をここではご紹介いたしましょう。
例によって特急や急行など、他にジャンル分けしてあるものも混合します。
その場合は、リンクにより接続できるよう設定しておきますのでご利用ください。














アルバム














総武本線 南酒々井~佐倉間  昭和52年

急行型電車が第一線で活躍していた時代。
かつて気動車王国との異名をとった
千葉局内では、
153系、165系電車による急行列車が、多数運行されていました。
なにしろヘッドマーク付きですから、鉄チャンにとっては嬉しい限り…


(マミヤC330 プロフェッショナルF)


















信越本線 青海川~鯨波間  昭和53年 5月

『新潟色』と称される独特の塗色だった70系電車。
雪深い地で目立つように施されたカラーだそうです。
当時は特別意識をして撮っていなかったのですが、今となっては貴重なシーン…
またいつもの『もっとマトモに撮っておけば…』という後悔が (-_-メ)



(マミヤC330 プロフェッショナルF)

















鹿児島本線 上田浦~肥後田浦間  昭和54年 3月

昼は座席、夜は寝台という設備を持った583系特急型電車。
ずんぐりしたボディに
新幹線のようなボディカラーが似合っていました。
見た目は存在感があってカッコいい電車でしたが、実際に乗ると… (--〆)
あの居住性で、よく長時間乗れたものだと思ってしまうのはボクだけかな~?


(編成図画像元/Rail Art様 )



(マミヤC330 プロフェッショナルF)


















上越線 敷島~渋川間  昭和54年

『こだま型』と称された181系特急型電車による、上野~新潟間の特急『とき』です。
昔日の雄姿を残した風格ある見応えのある列車でしたが、
食堂車の廃止と、485系タイプのサロ181-1100番台が加わってからは格が落ちました。
編成中の凸凹部がサロ181-1100(もしくは181-1050)です。

(編成図画像元/Rail Art様 )


(マミヤC330 プロフェッショナルF)
















鹿児島本線 上田浦~肥後田浦間  昭和54年 3月

昔は各地で多数走っていた急行電車。
なのに、いつしか過去のものになってしまいました。
独特の車体色の交直流両用急行電車、いい雰囲気でしたね。
この列車は西鹿児島発博多行、急行『かいもん2号』だと思います。
美しい風景の中を颯爽と走り去りました。

(編成図画像元/Rail Art様 )



(マミヤC330 プロフェッショナルF)




























東海道本線 菊川~掛川間  昭和54年


茶畑の湘南電車。
東海道ブルートレインを撮影に行った際、
最も多く『見送った』のが湘南色の113系でした。
ピント合わせに使ったりして…(笑)
この頃は『懐かしい存在』になるなど、思ってもみませんでした。



(ペンタックス MX)

























東海道本線 摂津富田~高槻間  昭和53年?


鉄チャンデビューした小学校時代、この区間の踏切にはよく行きました。
警報機も無い踏切もあり、今思えば何とものんびりした時代だったなぁ~と思います。
この地を離れて数年後、久しぶりに行ってみた時に撮影した写真です。
かつてスカ色の113系で運行されていた『新快速』は
オリジナルカラーの153系に替わっていました。



(ペンタックスMX)



























日豊本線 南日向~美々津間  昭和54年 3月


ヒゲ無し、赤スカートのクハ481が先頭に立つ特急『にちりん』。
当時の『にちりん』は南宮崎以南が非電化だったため、
82系気動車で運転される列車もありました。
他にも583系電車、ブルートレインが行き交っていたあの頃の日豊本線…
在来線の特急列車が最も輝いていた、華やかな時代でした。

(編成図画像元/Rail Art様 )




(ペンタックスKM)















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