朝イチで新日鉄釜石を訪問したものの、肝心のナローDLは見られずに撃沈。
釜石線で陸中大橋に移動し、新釜石鉱山軌道を撮影しました。
さすがは日本有数の鉄鉱山、大型の鉱車をTLが牽く列車が続々とやって来ます。
撮影も順調で、そこそこの結果も得られました。
新釜石鉱山軌道の撮影を終え、釜石線で一駅移動。
上有住駅近くの大洞鉱山を訪れました。
ここの軌道の存在も「どうやらあるらしい…」くらいの情報だったと思います。
当時の上有住駅からは石灰石列車が乗り入れる引き込み線があり、鉱業所のホッパーへと達していました。
出入するのは国鉄のホキ2100で、専用の小型DLも存在していたそうです。
「…そうです」と記したのは、そのような車両を見た記憶が全くないからです。
釜石線ではDD51が牽いていたとのことですが、それも見た覚えがありません。
駅から道をたどり、迷うこともなく軌道に巡り会えました。
釜石鉱山と同じ、762mmゲージの電化軌道です。
軌道は鉱業所から僅か300m程で坑内へと入っていました。
外を走る区間が短いのは鉱山軌道ではよくあること。
僅かでもお天道様の下へ出てきてくれるのですから御の字です。
TLが姿を現しました。 | |
鉱業所ホッパーに到着です。 |
あの山が現場でしょうか?
1~2kmくらい先の山では、石灰石の露天掘りが行われていたようです。
ただ、あれが軌道の達する採掘現場であるか否かは定かではありません。
運搬列車は5tグランビー鉱車の15両編成でした。
稼働していたのは、このE103だけでした。 | |
鉱車が傾けられ、石灰石が降ろされてゆきます。 | |
空になった鉱車に添乗した作業員。 | |
TLが切り離されました。 | |
側線を通り、列車の反対側へと向かいます。 |
石灰石を積んだ列車は、交換所?をゆっくりと通過してホッパーに差し掛かります。
一旦停止のあと徐行で発進、鉱車が傾斜して石灰石が投入口へと落とされます。
グランビー鉱車は、降ろし場に備えられたダンプガイドによって車体上回りが傾斜する構造です。
ダンプガイドにさしかかると、鉱車の側面下にあるローラーが引き出されます。
ローラーはダンプガイドのレールに載り、進むにつれて上に持ち上げられて車体が横に傾きます。
傾くと同時に側面が開き、積載物が滑り落ちるように排出されます。
空になった鉱車はローラーが折りたたまれます。
たたまれた状態ですと、ダンプガイドにローラーが載らないため鉱車は傾きません。
鉱車の種類によっては、ローラーが折りたたまれないタイプもあり、
その場合はダンプガイドの形状によって一方向でしか傾斜されないようになっています。
かつての鉱山軌道では、鉱車を1両ずつチップラーという施設にセットし、回転させて降ろしていました。
この作業ですと、編成の分割と連結が必要となるため効率的ではありません。
グランビー鉱車は、鉱山軌道での降ろし作業を飛躍的に軽減しました。
一説によると、カナダのグランビー社が考案したシステムだとのことですが、詳細は分かりません。
15両すべてが降ろし終わると進行方向を変え、TLが鉱車を押して交換所へと向かいます。
推進で交換所に進入して停車。
TLが解放され、側線を通って列車の反対側へと機回しされます。
坑道側にTLを連結し、出発してゆきました。
機回し用の側線
元気に走り回っていたE103号機です。 10トン機ですが、見た感じスリムな印象を受けました。 |
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予備機なのか、それとも別の用途があるのか…(?_?) 小型の6トン機、E609が留置されていました。 |
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鉱業所の隅っこに居たE102です。 これも予備機? 車体は比較的キレイでした。 お正月の名残でしょうか、しめ飾りがついていますね。 |
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お馴染みのグランビー鉱車。 15両編成で運用されていました。 恐らく5トンでしょう。 |
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これは…? オマケです(*_*; 凄いタイヤチェーンですね。 |
石灰石鉱山に於いて軌道が用いられる場合、概ね大量輸送の体制がとられていました。
東日本では尻屋、葛生、奥多摩などが代表的な例です。
石灰石は産出量に対しての価格が低いため、効率よく運搬するには大量輸送が必須なのだとか。
ゆえに最適なシステムであるベルトコンベアへと転換されやすいという運命にもありました。
そんな理由もあり、石灰石鉱山には軌道が少ないという訳です。
なぜか臨単?!
このTL単機のことは全く覚えていません。
運転士がこちら側を見ていますので、坑道から出て来たシーンだと思います。
なぜかこの一枚しか撮っていないし、前後のコマを見ても思い出せません(T_T)/~~~
坑内に鉱車を置いて来たのでしょうか?
ヘッドライトが目立ちますね(^^♪ | |
乗ったままポイント操作! | |
空車に連結します。 | |
再び坑内へ向かって出発~(^^)/ | |
日に何往復していたのでしょうか…(?_?) |
詳しいことは分かりませんが、大洞鉱山はベルトコンベア化される前に閉山したようです。
枯渇したのか、その他に理由があったのか、全く不明です。
二年後の昭和62年、ここを訪れた方のレポートによると、軌道は稼働していませんでした。
もしかすると、たまたま休業日だったのかも知れません。
上有住駅発着の石灰石列車は平成5年まで続いていたようですから、
少なくともそれまでは大洞鉱山が操業していたことになります。
その頃まで軌道は存在していたのでしょうか…(?_?)
石灰石列車が出入りした坑口。 | |
TLたちはいつまで走っていたのでしょうか… |
ヤマを見守っていた社
山神社の写真を改めてみると、また違ったアングルが期待できたように思えます。
もう少し工夫をすればよかったかな~
なんて、得意の後悔です(苦笑)
この後、釜石線と東北本線を乗り継ぎ、盛岡へ向かいました。
翌日はトロ鉄友のやっちゃんと合流して日本粘土です。
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