夜行急行列車

列車名別懐古写真集







ちくま
CHIKUMA







「ちくま」の列車名は千曲川に由来するものと思われがちだが、実は違う。
その名は、かつて存在した筑摩県から付けられた。
筑摩とは、明治時代初期に僅か5年間だけ存在した県の名だ。
現在の岐阜県飛騨地方、中津川市、長野県中信、南信地方のそれぞれ一部にあたる。
千曲川の方が名が通っているので、むしろこちらが由来ということにしても良いと思うのだが…。
昭和34年、大阪~長野間に準急『ちくま』が新設された。
運行開始時は長野行が夜行、大阪行は昼行であった。
昭和36年には急行に格上げされ、41年からは昼行と夜行がそれぞれ一往復の運行となる。
その後更に増発され、定期列車だけでも三往復の設定となった。
昭和46年、昼行の一往復は181系の特急『しなの』に格上げされ、
『ちくま』は夜行一往復と長野行一本、昼行は大阪行が一本の運行になった。
『ちくま』で寝台車が連結されるようになったのは意外にも最近で、昭和53年のことである。
それまでは夜行でも気動車、季節や臨時では客車が使われたが、座席のみだった。
大阪~長野間ならば寝台車の需要もあっただろうが、何故に座席のみだったのだろうか。
『ちくま』より短距離の『きそ』に寝台車が連結されていたのだから尚更である。
編成は当時流行の20系寝台車+12系座席車であった。
その後20系は14系寝台車に置き換えられたが、平成9年には運用効率の見直しにより383系特急電車が充当された。
昼行特急『しなの』との共用運用となり、またもや座席のみの夜行列車となる。
平成15年には定期運行廃止で臨時列車となり、平成17年の運転を最後に設定がなくなった。









【昭和54年頃の運行時刻と編成】

ちくま5号 4803レ 大阪21:04 → 長野 6:00
ちくま4号 4804レ 長野20:29 → 大阪 5:56


←長野                                             大阪→

スハフ12 オハ12 オハ12 オハ12 オハ12 スハフ12 スハフ12 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22

(塩尻~長野間 逆編成)














ちくま 4803レ  信越本線 川中島~長野間














ちくま 4804レ  信越本線 長野駅






















トップに戻る




夜行急行 目次に戻る


inserted by FC2 system