明延鉱山軌道

(明神電車/一円電車)























所有事業所=明延鉱業株式会社

➀ 本線軌道
明延鉱業所 ~ 神子畑選鉱所 6.1km
軌間=762mm  直流550V電化

② 明延鉱業所 坑木運搬軌道
明延鉱業所周辺に多数
軌間=508mm  非電化

③ ズリ捨て軌道(未確認)
明延鉱業所 ~ ズリ捨て場 1.2km程?
軌間=508mm  直流550V電化






かつては国内に多数存在した鉱山軌道。
中でも一番有名な存在だったのが明延鉱山軌道ではないかと思います。
これはトロッコ鉄チャン的にではなく、
あくまでもカタギ衆、一般人ウケしたという意味ですけれど…(*_*)
その原因となったのが人車列車への乗車賃。
通常、このテの軌道に便乗する際は基本的に無料の場合が多いのですが、
明延では『1円』を徴収し、オマケに切符までが発行されていました。
マスコミが『1円で乗れる…』ということを面白おかしく取りあげたことにより、
興味本位の不届き者が大挙来襲して鉱山はパニック状態になったとか。
おかげで『部外者便乗禁止』にもなってしまいました。
こんなコトから『一円電車』として有名になったという経緯があるのです。
確か昭和46~47年頃だったかな~?
当時、鉄道雑誌にも顛末が掲載されていたことがあり、
その昔はナローに興味の無かったボクでさえ、この軌道の存在を知っていました。

明延鉱山の歴史は古く、採掘が始められたのは平安時代だとか。
明治時代に入ると神子畑鉱山も開発され、
生野~神子畑間には鉱石運搬用の馬車道が開通。
明延~神子畑間は山道を馬力、牛力で運搬していたものの効率が悪く、
明治の終りに索道を開通させました。
のちに神子畑鉱山は鉱脈枯渇により閉山しましたが、代わりに大規模な選鉱所が竣工し、
明延鉱山で産出され始めた錫鉱石の選鉱を行うようになりました。
明延~神子畑~新井間には運搬軌道が敷設され、国鉄との連絡ルートが出来上がり、
更には香川県の直島にあった精錬所には播但線(貨車)~飾磨港~(船)で、
生野銀山併設の精錬所とは馬車道で連絡するというリンク網も確立。
明延鉱山は、生野銀山と共に繁栄を極めたそうです。

軌道は大正7年から建設が始められましたが、
長大なトンネル工事に難儀し、開通までは11年もの期間を費やしました。
昭和4年に508mmゲージで開通。
4トンTLと1t積鉱車で鉱石運搬を開始しました。
昭和16年には輸送力増強のため762mmゲージに改軌。
鉱山関係者などの人員、小荷物輸送用に人車も運行されるようになりました。
その後、馬車や国鉄による鉱石輸送はトラック輸送に転換し、
昭和32年には神子畑~新井間の軌道も廃止されました。
代替道路の存在しなかった明延~神子畑間は軌道が活躍を続け、
その役目を終えたのは昭和62年、明延鉱山が閉山した時でした。






【訪問日】


昭和53年 2月 14日/1


昭和53年 2月 14日/2


昭和53年 2月 16日/1


昭和53年 2月 16日/2


昭和53年 2月 16日/3




昭和53年 7月**日












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