THEトロッコ


2013 神隠しの黒部



Vol,1 うなづき町







ボクたちが追い求めていたトロッコって…
しみじみと風情を感じるものから、はたまたビックリ仰天でひっくり返るものまで、
それなりのインパクトがある軌道が主体となっていた。
なので黒部峡谷鉄道は、ナローでありながらもターゲットにはならなかったのだ。
完全な観光鉄道と化した姿も理由の一つだったはず。
もしもポール集電のジェフリーが資材列車を牽くような軌道だったなら、
ボクらの対応も当然変わっていたと思う。
なんてコトを言いながらも、過去に2~3度は撮影したことがあったりして…
最後に撮ったのは、確か昭和57年頃?
巷では『うなずきトリオ』の『うなずきマーチ』が流行り、東北、上越新幹線が暫定開業、
お昼の『笑っていいとも』が放送開始したのもこの年、ずいぶん昔のことである。

♪なーなーなー うなうなうなな づき!
と口ずさみながら富山地鉄の駅からナロー軌道を求めて歩く。
うなずきマーチ、いや宇奈月町は周知の通り温泉で有名な処。
しかし、黒部ダム建設の拠点となったことも関連し、
関西電力の施設などが多く存在する電気の町でもある。

昔の記憶は薄れていたものの、我々は宇奈月駅周辺の激変ぶりを見逃さなかった。
トロ鉄の鋭い観察力をもってすれば一目瞭然である。
なにしろ駅を出てから直ぐの地点で線路はルート変更され、
昔撮影したことのあるアーチ鉄橋は遊歩道と化し、様相は一変していた。
直ぐ隣の少し高い位置には真新しい新山彦橋というアーチ鉄橋があり、
それを見下ろす展望台までが造られているのには驚いた。
やけに駐車場が増えていたのは、やはりクルマ利用の乗客が増加したのだろう。
その分富山地鉄のお客は減少したに違いない。
事前にリサーチしていなかったので面喰ったが、
驚いたことに後日ネット検索しても、ルート変更についての記述が全く見当たらない。
ボクたちも一瞥しただけなので断言は出来ないが、
これには1km程上流に竣工した宇奈月ダムの存在が大きく関わっているようだ。
宇奈月ダムの着工は昭和54年、完成は平成13年だというので、
この期間に新山彦橋を架け、新線を敷設したものだと思われる。
ダムが出来れば上流側の水位は劇的に上昇するから、
一部の線路は水没してしまったのかも知れない。
旧線跡は遊歩道になっているので、廃線跡好きには楽しめるだろう。

なんて観察をしているが、黒部峡谷鉄道を目当てに来た訳ではない。
明日参加する『黒部ルート見学会/欅平出発組』の集合が欅平駅に9時過ぎであり、
便宜上宇奈月温泉に一泊することになったから。
せっかくなので早めに宇奈月入りし、黒部峡谷鉄道を少し撮ろうじゃないの…という訳。
あれこれケチをつけつつも、結局は撮影しようというナロー好きなボクたち。
確かに見ていると結構楽しめちゃうんだな、これが。
関電の混合列車とか構内に置いてあるBL、あとモーターカーなんてツボかも…
『マジで混合狙ってみる?』
なんて言いながら、
『いいね~!』と、うなずく我々であった。


















































ナローの鄙びたムードなど微塵も無い。
観光客相手の鉄道だし、
ボクらの求める軌道とは程遠いんだけど…
それでも何となく魅力を感じてしまう。
































現役バリバリの軽便貨車。


























構内の片隅でお休み中のバッテリーロコ。
オフシーズンの保線などに使われるとか…
製造は昭和12年と、結構年季が入っている。



























引退したジェフリーが電気記念館前に保存されていた。
晩年の姿から一変し、原型に戻されている。


























旧線跡は遊歩道に。


































新山彦橋を渡る関電工事列車。
この鉄橋は宇奈月ダム建設に伴い新設された。
昭和63年竣工、全長166m。


























宇奈月駅は温泉街のはずれにある。


































山彦橋から新山彦橋をゆく列車を撮影。
昔ではありえなかったアングルだ。
山彦橋という名の由来は、
列車が渡る音が山を介して温泉街に響き渡るからだとか。



























鉄橋越しの列車。




































21両の電気機関車、100両以上の客車を保有、
貨車も150両程、DLやモーターカーを加えると
300両近くの車両がある。
全長20kmの路線にしては凄い輸送力だ。


























ホテルの窓から眺めたヤード。
手前は富山地鉄の宇奈月温泉駅。


























旅客終列車が出た後も
関電の混合列車が何本か出発してゆく。

























入換作業では突放を連発。
ナローらしい小さな車両がなんとも可愛い。


























日が暮れてからも車両の出入りが結構ある。

























突っ込んで観察していると、
黒部峡谷鉄道はタダの観光路線ではないと思えてきた。























夜のお仕事に励むプッチロコ❤

【2013年 9月18日撮影】





黒部峡谷鉄道を最初に撮ったのは昭和55年。
その時はO西君と一緒に巡った最初のトロ旅であった。
他には木曽、神岡、尾小屋、立山、青海、頚城などにも行ったっけ。
黒部を訪れた日は雨降りで、途中下車して『走り』も撮ったが
それはもう悲惨な結果であった。
当時はジェフリーが未だ現役で使われていて、
確か欅平で撮影した覚えがある。
あれから33年…
その間に数多くの軌道が失われたものの、黒部峡谷鉄道は逆に進化していた。
現代にマッチしたサービスを提供する観光鉄道として人気を博し、
恐らくこの先も未来永劫走り続けてゆくはずだ。
ボクらの好きだったトロッコとは全く違うカテゴリではあるが、
関電の混合列車を見た時にざわめいた気持ちは何だったのだろうか…
あの類の列車が今後も存続するならば、
もしかすると新たなトロ鉄趣味のターゲットにはなりはしないか?
そんな思いがした初秋の日であった。









《旅の様子はこちら ↓ で綴っています…》

ブログ
つねぴょんの”撮り鉄人生”









ペンタックスK-7



フジフィルム XF1








トップに戻る




ナロー軌道目次に戻る




"神隠しの黒部"トップに戻る




次のページへ

inserted by FC2 system