Vol,1 うなづき町
ボクたちが追い求めていたトロッコって…
しみじみと風情を感じるものから、はたまたビックリ仰天でひっくり返るものまで、
それなりのインパクトがある軌道が主体となっていた。
なので黒部峡谷鉄道は、ナローでありながらもターゲットにはならなかったのだ。
完全な観光鉄道と化した姿も理由の一つだったはず。
もしもポール集電のジェフリーが資材列車を牽くような軌道だったなら、
ボクらの対応も当然変わっていたと思う。
なんてコトを言いながらも、過去に2~3度は撮影したことがあったりして…
最後に撮ったのは、確か昭和57年頃?
巷では『うなずきトリオ』の『うなずきマーチ』が流行り、東北、上越新幹線が暫定開業、
お昼の『笑っていいとも』が放送開始したのもこの年、ずいぶん昔のことである。
♪なーなーなー うなうなうなな づき!
と口ずさみながら富山地鉄の駅からナロー軌道を求めて歩く。
うなずきマーチ、いや宇奈月町は周知の通り温泉で有名な処。
しかし、黒部ダム建設の拠点となったことも関連し、
関西電力の施設などが多く存在する電気の町でもある。
昔の記憶は薄れていたものの、我々は宇奈月駅周辺の激変ぶりを見逃さなかった。
トロ鉄の鋭い観察力をもってすれば一目瞭然である。
なにしろ駅を出てから直ぐの地点で線路はルート変更され、
昔撮影したことのあるアーチ鉄橋は遊歩道と化し、様相は一変していた。
直ぐ隣の少し高い位置には真新しい新山彦橋というアーチ鉄橋があり、
それを見下ろす展望台までが造られているのには驚いた。
やけに駐車場が増えていたのは、やはりクルマ利用の乗客が増加したのだろう。
その分富山地鉄のお客は減少したに違いない。
事前にリサーチしていなかったので面喰ったが、
驚いたことに後日ネット検索しても、ルート変更についての記述が全く見当たらない。
ボクたちも一瞥しただけなので断言は出来ないが、
これには1km程上流に竣工した宇奈月ダムの存在が大きく関わっているようだ。
宇奈月ダムの着工は昭和54年、完成は平成13年だというので、
この期間に新山彦橋を架け、新線を敷設したものだと思われる。
ダムが出来れば上流側の水位は劇的に上昇するから、
一部の線路は水没してしまったのかも知れない。
旧線跡は遊歩道になっているので、廃線跡好きには楽しめるだろう。
なんて観察をしているが、黒部峡谷鉄道を目当てに来た訳ではない。
明日参加する『黒部ルート見学会/欅平出発組』の集合が欅平駅に9時過ぎであり、
便宜上宇奈月温泉に一泊することになったから。
せっかくなので早めに宇奈月入りし、黒部峡谷鉄道を少し撮ろうじゃないの…という訳。
あれこれケチをつけつつも、結局は撮影しようというナロー好きなボクたち。
確かに見ていると結構楽しめちゃうんだな、これが。
関電の混合列車とか構内に置いてあるBL、あとモーターカーなんてツボかも…
『マジで混合狙ってみる?』
なんて言いながら、
『いいね~!』と、うなずく我々であった。
ナローの鄙びたムードなど微塵も無い。 観光客相手の鉄道だし、 ボクらの求める軌道とは程遠いんだけど… それでも何となく魅力を感じてしまう。 |
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現役バリバリの軽便貨車。 |
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構内の片隅でお休み中のバッテリーロコ。 オフシーズンの保線などに使われるとか… 製造は昭和12年と、結構年季が入っている。 |
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引退したジェフリーが電気記念館前に保存されていた。 晩年の姿から一変し、原型に戻されている。 |
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旧線跡は遊歩道に。 |
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新山彦橋を渡る関電工事列車。 この鉄橋は宇奈月ダム建設に伴い新設された。 昭和63年竣工、全長166m。 |
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宇奈月駅は温泉街のはずれにある。 |
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山彦橋から新山彦橋をゆく列車を撮影。 昔ではありえなかったアングルだ。 山彦橋という名の由来は、 列車が渡る音が山を介して温泉街に響き渡るからだとか。 |
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鉄橋越しの列車。 |
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21両の電気機関車、100両以上の客車を保有、 貨車も150両程、DLやモーターカーを加えると 300両近くの車両がある。 全長20kmの路線にしては凄い輸送力だ。 |
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ホテルの窓から眺めたヤード。 手前は富山地鉄の宇奈月温泉駅。 |
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旅客終列車が出た後も 関電の混合列車が何本か出発してゆく。 |
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入換作業では突放を連発。 ナローらしい小さな車両がなんとも可愛い。 |
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日が暮れてからも車両の出入りが結構ある。 | |
突っ込んで観察していると、 黒部峡谷鉄道はタダの観光路線ではないと思えてきた。 |
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夜のお仕事に励むプッチロコ❤ |