オーストリア

Österreich












ÖBBノスタルギー列車 ヴィーン~グラーツ
ÖBB Nostalgiezug Wien ~ Graz



2000年 9月 3日(日)






【行程】

Wien West →(市電)→ Wien Süd
Wien Süd 8:07 →【ノスタルギー列車】 → Wien Süd 21:56(遅延 22:30着)
Wien Süd →(市電)→ Wien West






2000年9月の撮影旅の準備段階で、オーストリア観光局に行った時でした。
ÖBB(オーストリア国鉄)が発行したパンフレットを発見。
その中には、日常運行の旧い鉄道や歴史的な特別運転列車などの他、
蒸気機関車牽引ツアー列車の案内も掲載されていました。
よ~く見てみると、旅の期間中に催行される列車も!(^O^)/
これは撮影プランに加えるしかない…
そう思って計画を練り始めました。

列車の予約はFaxで、決済はクレジットカード番号を記載し、
サインをして送信すると、数時間後に予約番号の入った返信が届きました。
なんともレトロなやりとり!(笑)

ヴィーンに到着した9月1日、西駅のリザベーションで予約番号を提示すると、
何の問題も無く所望の列車指定券が発見されました。
現在ではネット社会で、このような海外の事前予約は当たり前でしょうが、
当時はチョッピリ不安でした…(苦笑)







件のパンフレット











そしてツアー列車が運転される当日です。
前日はヴァルトフィアトラー狭軌鉄道を撮影し、
ホテルに戻ったのは23時頃。
それでも5時半に起床、美味しい朝食もタップリと食べて
7:10頃、元気に出発しました。

ツアー列車の始発駅はヴィーン南駅です。
宿泊していたホテルは西駅前で、距離にして5km程離れています。
この間は市電に乗り、昨日購入した『ヴィーン72時間チケット』を使いました。





ヴィーン西駅前
右端の建物が宿泊したホテル
ヴィーン西駅
西駅前にあった新聞の無人販売
ヴィーン南駅前







ヴィーン南駅はグラーツ、クラーゲンフルト、そしてイタリア方面の列車が発着する大きな駅です。
ヴィーン南駅の構内にはヴィーン東駅が同居しており、
こちらはハンガリー、スロバキアなどの東欧諸国とを結ぶ列車が出入りしていました。
同じエリアに違う名の駅があるのって、ややこしいですね。
これは開業当初、東駅と南駅が別の鉄道会社だったことに起因します。
東駅はオーストリア東部鉄道、南駅はオーストリア南部鉄道が竣工させました。
後に国有化されて同じ国鉄の駅となったものの、駅名は統一されず別称のまま残りました。
呼称的にはヴィーン南駅というのがメインで、
東駅は『南駅構内の東部方面乗り場』という位置づけだったようです。


市電18番の電車を降り、重厚なヴィーン南駅々舎に入りました。
空港のような大きい発着案内板、時折パタパタと掲示が入れ替わっています。
メインホールのエスカレーターを上がると、そこが頭端式ホームでした。
目当ての列車は14番線から出るようです。





出発案内にはゾンダーツーク(Sonderzug)『特別列車』の表示。
予定では定期列車のIC151に併結されるとのことでしたが、
どうやら変更されたようで、停まっていたのは特別列車の車両だけでした。
発車時刻も変わって8:07となり、IC151の3分後を追うダイヤとなったようです。

1142型電気機関車を先頭にした編成は、前から1等車+食堂車+2等車+2等車でした。
蒸気機関車が牽引するのは、ここから約50km先のヴィナー・ノイシュタットからです。

この列車のツアー名は『Über den Wechsel nach Graz』です。
う~む…よく判りませんが、
『別のルートでグラーツへ向かう』
みたいな意味でしょうか…(?_?)











Über den Wechsel nach Graz
運行予定時刻表

 Wien Süd bf  - 8:04 
 Wien Meidling 8:08   8:10
 Wiener Neustadt  8:36  8:55
 Friedberg  11:10  11:20
Hartberg  12:00  13:40 
 Fehring  15:00  15:30
 Graz Hbf  18:20  19:22
 Wiener Neustadt 21:22   21:24
 Wien Meidling  21:50  21:51
 Wien Süd bf 21:56   -

Wien Süd ~ Wiener Neustadt 間は IC151 に併結※
Graz Hbf ~ Wien Süd 間は IC150 に併結
※(実際にはICに併結せずに単独運行した)
Wiener Neustadt ~ Graz Hbf 間は 52-4984 が牽引
停車駅はその他多数あり




【運賃】

区間  1等  2等 
Wien - Graz - Wien 大人   590AS 490AS 
Wien - Graz - Wien 子供  295AS  245AS
 Wien - Graz 大人  420AS  320AS
 Wien - Graz 子供  210AS  160AS









列車は8:07、ヴィーン南駅を発車しました。
このルートは、かのゼンメリンク峠を越えてイタリア方面とを結ぶ幹線です。
線路状態は大変良く、列車は滑るように進んでゆきました。

平均乗車率は60%といったところ。
蒸機牽引の列車なのに、我が国のような喧騒も無く、とても穏やかな雰囲気です。
ボクたちは奮発して1等車をチョイスしました。
ヴィーン~グラーツ間で、約3300円です。
丸一日乗ってこの価格、かなりお得だと思いませんか?
たった4両短編成なのに、食堂車を備えているのが何ともイカしています(^O^)/

約30分でヴィナー・ノイシュタット駅に到着。
これまで牽引して来た1142型電気機関車が解放されました。
そして本日の主役、
ÖBBの 52-4984 の登場です!













姿を現した52-4984 ヴィナー・ノイシュタット駅








52型蒸気機関車はドイツ製。
世界最大の製造台数を誇る貨物用機関車です。
52型の設計は先行機種の50型と基本的に同じでしたが、
当時の戦時蒸気機関車製造計画によって大幅な合理化、簡略化した造作となりました。
試作機が1942年に誕生、そして1944年から量産が開始されました。
当初の製造台数の目標は30000両だったとか…
実際にドイツ国鉄用として製造されたのは6248両、
他国向けを含めると7000両以上だと伝えられています。
そして東欧諸国では52型のコピー機が大量に製造され、
これらを含めた総数は、何と10000両以上ではないかと言われています。
日本の蒸気機関車で最も大所帯だったD51でさえ1115両ですから、
その桁違いの数に驚かされます。
第三帝国占領地だった国には多くの52型が残り、戦後も活躍を続けました。














この 52-4984 は1944年にMBA(Maschinenbau und Bahnbedarf AG)にて製造されました。
MBAとは、かつてのオーレンシュタイン&コッペル社で、
ナチス政権下のアーリア化政策に於いて会社が売却、改組、改名されたものです。
第二次大戦前はオーストリアで活躍し、その後ユーゴスラビア・ボスニアに渡りました。
1994年にオーストリアへ戻り、ÖBBノスタルギー社が保有。
看板機関車として数々のイベント列車を牽引して活躍しています。
その後、ÖBBの再編などが絡んだのか、何かしらの経緯を踏んだようで、
2014年現在の所有者は LOKTEAM という保存団体になっているようです。








ヴィナー・ノイシュタット駅






ヴィナー・ノイシュタットを出発すると、いよいよ汽車旅のスタートです。
汽車が走るのはゼンメリンク峠の東方を大きく迂回するルートで、
短編成のローカル列車が細々と運転されている閑散路線。
通常の列車ですと4時間弱の道のりを
9時間もかけて走ってゆく、のんびりとした汽車旅です。
閑散路線とは言え線路状態は非常に良く、
真新しいバラストが撒かれていたり、PC枕木が使われている箇所もありました。

田園地帯を進み、ピッテン(Piteen)で単行の気動車と交換しました。
この辺までは本線と数キロの隔たりで並走していますが、
ピッテンを出ると徐々に離れて山間へと分け入ってゆきます。
なだらかな斜面の牧場に放たれた牛たち、名も知らぬ古城、
ヨーロッパの里山風景が車窓を飾ります。


アスパンク(Aspang)という小さな田舎駅に停車。
ここで乗客の約半分がゾロゾロと降り、駅構内へ散らばりました。
やがて汽車は後退し、構内のはずれへ。
一旦停車し、汽笛を鳴らすと構内へ向けて力行して来ました。







アスパンク駅に到着
汽車を観に来た子供たち
動輪直径は1400mm 日本のD51と同じ
後退してゆきました
さあ!始まりますよ~!
















ブラスト音も高らかにダッシュして来ました(*^^)v









これは、ドイツ語で『フォトハルト』と称される汽車の撮影ショーです。
機関車に負担がかかるよう、ブレーキをかけながら力行します。
ちょっと荒い扱いにも思えますが、お陰で力強いブラスト音を奏でてくれます。
その割にケムリがショボイですが…(ToT)/~~~
ボクたち日本人には、あまり馴染みの無いシステムですね。










撮影ショー終了!











間もなく発車です






アスパンクを発車、汽車は長閑な風景の中を進みます。







町と教会
車窓の景色は言うことなし!
小さな駅に停まりました
ÖBB Nostalgieの看板機関車
点検整備に余念がありません
リンゴの木がある駅
指導機関士と鉄チャンたち
客車に記されたÖBB Nostalgieの文字
人々の生活はどんな感じなのかな…?











フリートベルク駅












停まる度に手間をかけてやります









うねうねと山道を上って下り、視界が広がるとハルトベルク(Hartberg)です。
駅に到着すると同時に、町の鐘が鳴りました。
ちょうど12時。
汽車もこの駅でお昼休みとなります。







ハルトベルク駅 ここで長いお昼休み♪









ホースの届く位置まで後退…
この位置で給水が行われます
町の人たちも汽車を観に来ました
機関車の給水に駆り出された消防車






停止位置から少し後退し、駅舎の脇あたりに機関車が停められました。
駅前には消防車が来ており、消防隊が消火栓にホースをつなぎ、
な~んと52-4984のテンダーへと給水…(゜-゜)
駅に給水設備が無いため、苦肉の策なのでしょう。
でも、町ぐるみで汽車を応援しているようで心温まる光景でした。







整備も行われます…





汽車は13:40までの間、ここで停車しています。
ボクらもお腹が空いたので、ランチを求めて町へ歩いて出ました。
しかし、日曜のせいか店は全部クローズド((+_+))
ヨーロッパでは日曜休みの店がとても多いのです。
短い編成に食堂車があるのも、この辺が理由なのかも知れません。
そんなことを思いつつ、食堂車でビールと軽食を楽しみました。






ハルトベルクの町中
オーストリアで見るとは…(+o+)
可愛らしい民家
食堂車で呑むビールは最高(^_-)-☆
対向の気動車







一時間半の昼休み…










お昼休みが終わり、汽車は再び出発。
途中駅に停まっては走りを繰り返し、
ハッツェンドルフ(Hetzendorf)では二度目のフォトハルトが行われました。






後退して構内を逸脱しました…













力行していますが ケムリが全然出ていません…









目前を過ぎる瞬間はゾクゾクします









大勢の鉄チャンが待ち受けていますね…













今日は汽車旅日和♪











フェーリンク駅








広い構内のフェーリンク(Fehring)に到着。
ここにも消防車が来ており、30分ほど停車して給水が行われます。





汽車見物の人たち
消防車で機関車に給水
ここで30分停車
手間はかかるが可愛い相棒
フェーリンク機関庫
庫の中に居た小型DL
かつては交通の要衝だったのかな
蒸気機関車引退のモニュメントか…?









構内を散策してみると、転車台と小さな機関庫がありました。
庫の中には小型DLが停まっているだけでしたが、
恐らく蒸気運転最終日であろう記念のイラストと日付の書き込みを発見。
描かれていた機関車は52型のようでした。
やはり、この路線にとって52型は縁の深い形式なのでしょうか…(・・?
フェーリンク駅では地元の人たちが大勢見物に来ていました。
幼い日に見た蒸気機関車の姿、大人になっても覚えているかしら…(?_?)










憧憬










Vergessen sie nicht!











フェーリンクからは旅の最終章です









フェーリンクからは、グラーツとハンガリーを東西に結ぶ路線を走ります。
シュトゥデンツェン・フラートニッツ(Studenzen-Flatnitz)ではDL牽引の客車列車と交換。
この駅で三度目のフォトハルトが行われました。
いつも構内なので、やや食傷気味になったりして…(-_-メ)
出来れば駅構内ではなく、駅間でやってくれれば良いと思うのですが。
でも、ここでの走りは今までで一番迫力がありました。









シュトゥデンツェン・フラートニッツ駅で交換したDL牽引の列車
『走り』は駅構内だとちょっとねぇ…(--〆)











黒いスポーク動輪も似合いますね!







撮影後、客車に乗ろうとすると車掌に声をかけられました。
ヤーパンは珍しいのか、当初から色々と話しかけてくれていた車掌です。
よくよく聞いてみると、
な~んと!ボクたちを運転中のキャブに乗せてくれるというのです。
こいつは素晴らしい体験が出来そうです(^O^)/


先ずはK君がシュトゥデンツェン・フラートニッツ~グライスドルフ(Gleisdorf)間を
その後にボクがグライスドルフ~ラスニッツヘーエ(Laßnitzhöhe)間を添乗させてもらいました。
この日の52-4984には機関士、機関助手、指導機関士の三名が乗務。
動き始めると、蒸気機関車独特の振動がビシバシ伝わってきました。
52型は貨物用で、1400mmの動輪が5対あります。
それ故に最高速度は然程出ません。
それでも乗車中に体中に感じる振動とサウンドは強烈でした。
眼の前で石炭をくべ、多数の機器を操る様子は迫力満点。
蒸気機関車の鼓動を最も体感できる場所、
それは走行中のキャブに他なりません。

指導機関士は機関士と機関助手に色々とアドバイスをしていました。
ボクの語学が稚拙ゆえ、内容までは判りません…((+_+))
それでも助手の釜焚きについては
『違うよ、もっと力強く投げ込まないと』
『手前にも、横にもキレイに撒くんだぞ』
…みたいなコトを教えており(ホンマかいな…(?_?) )
うまく伝わらないのを見ると、
『見てろ~! こうだっ!』
とばかりに自らスコップを持ち、投炭の模範指導を始めました。
さすがに教える立場だけあり、素人目に見ても差は歴然。
力強い釜焚きシーンは圧倒的な迫力で、ボクはビデオを回しっぱなし、
お陰でスチールを撮り忘れたという大失態…(T_T)/~~~
ラスニッツヘーエに到着後、三人にお礼を言って52型を降りました。
いや~っ!いい体験させてもらいました(^O^)/







運転してみたい…










ラスニッツヘーエ駅












小休止






ラスニッツヘーエ駅でもフォトハルトをやると聞き、
構内外れに行ってスタンバイしていたのですが、
何時まで経っても機関車が動く様子はありません。
そのうちにK君の大声で呼び戻され、
聞いてみると何らかの事情でフォトハルトは別の駅でやるとのこと。
あちこちに散らばっていた乗客たちを集めて乗せて、
汽車は再び走り始めました。







汽車で一緒だったオバさんと犬のアミー











立派な煉瓦造りの駅舎があるグラーツ東駅に到着。
ここはもう終点グラーツ中央駅のひとつ手前で、電化されています。
汽車はゆっくりと後退し、最後のフォトハルトが行われました。
機関車が停止する瞬間、周囲からは拍手が!
『一日ありがとう!』
という鉄チャンたちの気持ちだったのでしょう。
何気ない行動のようにも見えますが、
これこそが『保存運転の真髄』だと感じました。








駅舎は1873年開業以来のもの













一時は飽きたフォトハルトも 最後となると名残惜しいものです…








グラーツ東駅を出ると、もう間もなくグラーツ中央駅です。
陽の暮れかかった18:20、ほぼ定刻に到着。
52-4984はすぐに解放され、構内奥の車庫へと向かってゆきました。
客車はそのままホームに残されており、この後ヴィーンに向けて出発します。

さっきまでお天気だったのに、雨が降ってきてしまいました。
町へ出かける時間も無いし、雨なので駅構内で時間をつぶすことに…
グラーツ中央駅は近代的な建物で、色々なお店が入っています。
それらを冷やかして歩き、我が家へ出す絵ハガキなどを購入しました。









グラーツ市電








ボクたちの客車が併結される19:20発のIC150は、約20分遅れで到着しました。
さっきまで蒸気機関車に牽かれていたのに、
今度は定期の特急列車に連結されて走ってゆくのです。
ヨーロッパのやり方は、とにかく楽しい!









グラーツ中央駅を発車しました









IC150は『エモナ(EMONA)』という愛称がついた国際特急。
発駅はザグレブ(Zagreb)、リュブリャナ(Ljubljana)、リエカ(Rijeka)で、
クロアチア、スロベニアの両国と、オーストリアの首都ヴィーンを結んでいます。
愛称の『エモナ』は古代ローマの町名で、現在のリュブリャナに位置していたそうです。
行ったことのない、また行く予定もない国の列車と関われるのが
ヨーロッパ鉄道の旅での楽しみでもありますね。

編成の中にはスロベニア国鉄の食堂車がありました。
今宵の夕食はここで摂ることに。
今日あったことを色々と話しつつ、
メニューに掲載されているビールを全て呑み、
いい気分でゼンメリンク峠を越えてヴィーンへと帰りました。











【使用機材】



コンタックスG2



キャノンT90









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