臺灣火車攝影的旅行
第三日


撮影日=民国67年 3月27日(月)



Vol,5






水山線でシェイを撮影した後、阿里山火車站へ戻ります。
途中、神木方面から旅客列車が来るというので少し待って撮影しました。
ちょっと見に中興號の客車のようでしたが、何の列車かは不明です。
嘉義方面からの列車は第四分道でスイッチバックとなるため、
DLが後ろで推進して登って来ました。
その後、構内を少し見物。
さっき撮影したDL牽引の中興號?は、お客を降ろすとそのまま転線。
アンコールで12号機にやって欲しかった…(笑)
12号機が23号機を連れ出したドーム型の車庫には、他に2両のシェイが居ました。
24号機と、もう1両はナンバー未確認ですが28t機のようです。
その他、渋い旧型客車などもあり、構内はちょっとした博物館のようでした。

この夜、駅長の劉さんを交えての夕食となりました。
最初はメンバー全員での食事でしたが、最後まで残ったのは呑兵衛ばかり…
健康的な方々は明日早起きをして、ご来光を拝みに行くとかで次々と退席。
ボクら(呑兵衛)はご来光より酒のほうが好きな訳で…(笑)
劉さんは相当な酒豪で、竹葉酒という強いお酒を飲んでいました。
ボクも勧められたので…、いただいてみましたが…
う~む…(゜o゜) 強い…
たぶんウイスキーくらいのアルコールはありそうで、何かの薬酒みたいです。
ボクは一杯だけで後は遠慮しましたが、S原さんは勧められるがまま…(・_・;)
先日、この時のことをS原さんに尋ねてみました。35年前のお話です。
結構おつき合いしたようで(笑)、その後S原さんはトイレで撃沈…
劉さんは、
『そこまでつき合ってくれたS原さんは良い人だ』
と仰っていたそうです。
なんだか心が温かくなるエピソードですね。

酔っ払いながらも車庫へ行き、シェイを撮影しました。
12号機は車庫の中、オマケに周囲は真っ暗で、かなり悪い条件でした。
せめて外に出ていてくれたなら…
でも、今では良い思い出です。






























まるで模型レイアウトのような雰囲気です。
推進で登って来るのは嘉義、神木方面から。
左下に横断する軌道は、先程シェイが走った水山線。





















牽引するDLはドイツ、コッペル製です。
金太郎掛けの上にメーカーズプレートがあり、
O&Kとの文字が確認出来ます。





















コッペルって、軽便蒸機の印象しかないのですが…
阿里山のO&Kは1976~77年に3両が製造されました。
ナローにしては大型で、可愛げがありません。





















改札口とシェイ。
左の丸太は臼?





















車庫で眠る28t機たち。
左の客車も旧そう…





















さっきお披露目した23号機は右。
左に24号機と…
後ろは…???






















先程12号機が牽いた客車編成です。
かなりの年代物のようです。





















編成の反対側。
サボには『開往嘉義』とあります。
『嘉義行』のことですよ・ね…?





















駅事務所にあった地図。
もう少し詳細に撮ればよかったのに…((+_+))






















僚友のDLと寄り添うように休む12号機。
静まり返った夜の車庫で、
シェイの息遣いだけが聞こえていました。

【1978年 3月27日撮影】






訪問当時、阿里山火車站は近々移転するとのことでした。
場所は第四分道付近だということでしたから、
冒頭の推進列車を撮影した場所から少し神木寄りでしょうか。
その後、もとの阿里山火車站は沼平火車站と名を変えているようです。
なんだか複雑…
これって何か意味があるのかしら(?_?)







ペンタックスMX







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