京都市電



撮影日=昭和53年 2月 13日(月)







この時期にどうして関西へ撮影に向かったのか、その動機や理由などを全く覚えていません。
近頃は記憶の抜け落ちが加速し、昔日のレポートを書くことが益々難しくなってきました。
この旅のことも殆ど覚えていないので、苦戦を強いられそうです。

旅立ちは347M??? 自信が無いなぁ…
共に行動したのは鉄友のW君でした。
W君に電話をして聞いてみると、『銀河』で行ったんじゃない? という答え。
しかし、この当時の銀河は20系、乗った覚えはないぞ~!
それともオール座席の『銀河51号』か?!
京都では如何なる出来事があったのかも尋ねてみましたが、彼もハッキリとは覚えていないようでした。
((+_+))

ネガのコマを追うと、京都駅前~祇園~東山三条~北大路橋~
烏丸車庫~西大路三条~京阪国道口~東山七条~塩小路高倉~京都駅前
という経路を辿っています。
大抵は断片的な記憶があるのですが、この京都市電に関しては全く…(-_-メ)
辛うじて覚えているのは、塩小路高倉で夜景を撮るのに難儀したこと。
寒い中をずいぶん待っていましたが、なかなか電車が停まってくれない、
停まっても直ぐに信号が変わって発車しちゃったり、苦労しました。

あとは…
この記事を作成しているうちに、何かしら思い出すか・な…(・・?












【京都駅前~塩小路通】




市電、メッチャ人気ですやん!




市電に乗る人の列か否かは定かではありませんが…(汗)



















バスに囲まれて肩身が狭い…




かつてはいくつもの系統が出入りしていた京都駅前ですが、
この時代には6系統が発着するだけで、線路もご覧の通り。
取り残されたように佇んでいた市電乗り場。
その周囲では、ひっきりなしにバスが行き交っていました。
















京都駅前の象徴




この頃の京都タワーは目立っていました。
列車からも良く見えたし、駅前に出ると真っ先に目に入りました。
旧き善き昭和の光景ですね。















塩小路通から京都駅前にアクセスするSカーブ。
電車の右、歩行者のすぐ傍には ↓この記念碑がありました。
電気鉄道事業発祥地の碑。
変わり果てた京都駅前で、この碑は今でも残されているようです。
塩小路通の廃線跡。
何故にこれだけ残されていたのか…?
東洞院通との交差点、件の碑の前から撮ったものだと思います。
市電が最後の輝きを見せていた時代。
電車に乗り、沿線撮影に出ました。















【祇園】

四条通から八坂神社を望む。
タイミングが…((+_+))

















八坂神社前




晩年の京都市電に於いて、京都らしい風景のひとつだったのが八坂神社前です。
昔、この神社は祇園社と呼ばれていて、その門前町だったこの界隈は『祇園』と名付けられました。
花町として栄えた風情ある佇まい…
…というのはビジターのイメージであり、実際にはクルマが激しく行き交う雑踏の通り。
祇園らしい光景が残されているのは、一部の裏通りだけのようです。
















この車体色は昭和12年から…




その昔、京都市電はアズキ色主体の車体色でした。
保存されているN電のアズキ色+と白(クリーム?)のようなツートンカラー。
それが昭和12年に登場した600型からは、緑+クリームの塗り分けに替わったそうです。
ツートン境の赤(朱?)帯は、ワンマン改造された車両に目印として入れられました。
ボクら世代はこのカラーが京都市電そのものでしたが、実は違ったんですね…(゜o゜)

















ふりむかないで…(・・?

















(ーー゛)




京都のイメージをぶち壊すこの実態…
自動車の流入規制と市電の活用が得策だったと思うのですが…
ヨーロッパの古都には、このような喧騒は微塵もありません。

















なんとかしろよ…(-_-メ)




日本を代表する国際観光都市、京都をこんなにしてしまったのは誰?
















【東山三条】





京阪京津線との平面交差




インターアーバン構想の名残みたいな京津線は、京都の隠れた名物でした。
特に東山三条では市電とのクロッシングがあり、ボクたち鉄チャン的にはオイシイ場所。
是非とも離合シーンを撮りたい、ということで来ました。
しかし、京津線の電車だけを撮っているうちに乗用車との衝突事故が発生。
京津線は長時間に渡って不通となり、マトモな離合は撮れずじまいでした。
















停まったままの京津線80型電車




ぶつかった乗用車は撤去され、警官による事故検証が行われているところです。
80型の妻面裾部に傷、その下にガラス片が散乱しているのがお分かりでしょうか?
乗客たちは乗ったまま缶詰め状態で、じっと我慢で経過を観察していました。














【北大路橋・烏丸車庫】





賀茂川を渡る




鴨川の河川敷は鴨川公園として整備され、憩いの場となっていました。
このあたりまで来ると、市中心部のような賑わいはありません。
川の流れと橋を渡る市電をのんびり撮影した記憶があります。















冬枯れの北大路橋
銀箱が懐かしい…
烏丸車庫
年季の入った主制御器

















【西大路三条】







大文字山と1900型




この頃の京都市電には、三ヶ所の平面交差がありました。
前述の東山三条、京阪本線との七条大橋、そして京福嵐山線の西大路三条です。
ここ西大路三条では、嵐電が交差点を斜めに横切っていました。
三条通の路面区間と、専用軌道との境がこの交差点だったからです。
例によって両者の離合を狙いましたが、全くの空振りに終わりました。
















嵐電との交差地点




もう少し粘れば良かったかも知れません…(*_*)















【京阪国道口】





隣を走るマツダ・ボンゴが懐かしい…




陽が西に傾き、暮れかかってきた頃に京阪国道口へやって来ました。
ここの歩道橋からは東寺と市電がいい具合で撮れるからです。
このポイントも京都らしい風景のひとつでしたね。

















南大門と五重塔




平安京の羅城門を中心に、東西に寺院が建造されました。
そのひとつが東寺で、空海に下賜されて『お大師様の寺』として親しまれたそうです。
シンボルとなっている五重塔は四度の火災に遭い、現代にその姿を見せているのは五代目。
かの徳川家光の寄進によって建てられたものだと伝えられています。















【東山七条】





黄昏時…




いい雰囲気の商店街を見つけ、写欲をそそられたことをなんとなく覚えています。
しかしこの場所が何処だったのか、それがサッパリ分かりませんでした。

ここで役立つストリートビュー(^O^)/
思い当たる地点、写真の中の手掛かり、現在の様子と照合しながら探索し、特定できました!

ここは七条通、大和大路七条です。
殆どの建物が新しくなっているため、現在はこのような雰囲気は全くありません。

夕食の買い物でしょう、近所の方々が集まっていますね。
昔は何処でもこんな光景が見られたものです。
そこには人々の生活臭が漂っていました。
便利になった現代、しかし何か大切なものを失ったような気がするのはボクだけでしょうか?

















威勢のいい声が聞こえてきそうです




こういう風情をもっと撮影しておけば良かった…
形にハマった『平凡な走り』ばかりじゃ面白くないですからね…













【塩小路高倉】






白熱灯の車内が懐かしい…





京都駅前にそびえる京都タワーは、近代京都のシンボル的存在でした。
もとは中央郵便局があった場所で、その移転後に観光センターが竣工し、
数年後にタワーが増築されたとのことです。
京都タワーは他では見られない上品な曲線美を見せていますが、
これは町の屋根を波に見立て、そこに明かりをともす灯台をイメージしたデザインだそうです。
高さ131m、開業は昭和39年、この存在に対しての賛否両論は、
町の美観についての論議を戦わせた日本初の建造物だと伝えられています。


京都タワーは陽が暮れるとライトアップされ、ひときわ優雅な姿を見せていました。
是非とも市電と絡めて撮りたい…
そう思うのは当然の流れでした。
しかし、前述の通り電車が巧い具合に停まってくれません。
テイク10くらいは撮ったかしら…?
上のカラー写真、実はブレている失敗作(ーー゛)
色合いがいい具合なので掲載しちゃいましたが…(汗)















(-_-;)




ストロボ焚いて撮った苦しい一枚…(+o+)

















(^O^)/




C330で撮ったこのモノクロがベストショットとなりました。
さすがブローニー、全紙くらいまで楽に引き伸ばせそうです。

現在の塩小路通はビルが立ち並び、景観は一変しました。
京都駅も凄い変わり様ですし…
京都のような町には、やたらと高層建築物は建てない方が良いと思うのですが( `ー´)ノ
おかげで今では京都タワーの影が薄くなってしまいました。














【京都駅前】





(^_-)-☆




一日の撮影を終え、京都駅前に戻って来ました。
この日、どこで何を食べたとか、ホントに全然覚えていません。
記録によると、22:04発の827レ『山陰』で和田山へと向かいました。
京都駅での国鉄列車の写真、一枚も無いんですけれど…
((+_+))






◆1978年 2月 13日撮影◆






ペンタックスMX




ペンタックスSP-F




マミヤC330 プロフェッショナルf













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2月14日 DD54"和田山の夜"へ

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