東京急行電鉄
世田谷線

撮影日=昭和52年11月29日(火)




世田谷線を初めて撮影したのは、確か中学生の時だったと思います。
しかし、その時のネガが見つかりません(T_T)/~~~
あと、蒸気機関車の録音用に新しく導入したテレコを持参し、
世田谷線の電車でテストをしたような覚えもあります。
仲間と遊び半分で行き、録音中に隣で笑わせ合いをしてNG連発!
なんだか妙に面白かった覚えがあるのですが、
その録音テープさえも紛失してしまい、記憶の隅に残るのみ…(*_*)

この日は下高井戸から世田谷線に入り、
途中下車して撮影しながら三軒茶屋まで移動したようです。
一時休眠していた鉄チャン活動が復興している頃で、
撮影の楽しみを少しずつ習得していたようにも思えます。































京王のグリーン車、2000系と並んだデハ73です。
緑車同士、旧き良き時代の顔合わせですね。





































デハ76の運転台。























登板時は吊り掛けモーターが唸りました。
今でも音が耳に残っています。




































山下駅では小田急線がオーバークロス。
隣接する豪徳寺駅で乗り換え可能でした。




































都電に合わせた1372mmゲージ。
古くは馬車鉄道が起源だとか。

























車庫のある上町駅。





















踏切と言う名ではありますが、
ここでは電車も信号待ちをします。
最も"玉電"の面影を感じるスポットでもありました。


































新しいデハ150は、来ても撮らないことが多かったです。
勿体なかったかな?
当時は斬新に見えた車両ですが、今見ると…(・_・;)
























側面のコルゲート板が特徴でした。
ライトの雰囲気も7000系に似ていますね。



































当時から高層住宅は多かったと思いますが、
やはり今ほどではなかったのでは?
旧い電車と近代建築物のミスマッチ。























こんな感じが『世田谷線らしい』風情ですね。
今ではもっと洒落た商店になっているのかも…
電車も変わっちゃったしね~((+_+))




































陽が傾き、もうすぐ夕方のラッシュ時か…

















ビルの狭間にあった三軒茶屋駅。
当時は『撮りにくい駅』という印象しかありませんでした。
ですが、ひょっとすると
世田谷線の魅力が凝縮したエリアだったかも…
もっと撮ればよかったぁ~(+o+)

【1977年11月29日撮影】







世田谷線の電車に掲示してあった『連結2人のり』のサボ。
二両編成ながら貫通路が無いため、乗客は相互車両間の移動が出来ず、
料金収受などを前後車両で運転士と車掌により
分割して行っている『二人乗務』という意味のようです。
最初は何のことかと思いましたが…(笑)
もし4両編成があったなら、
『連結4人のり』になった???
(@_@)








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