かつては総延長210km以上にも及んだ都電。
昭和40年代に入ると廃止が相次ぎ、47年以降に残ったのは荒川線だけとなっています。
荒川線と呼ばれるようになったのは昭和49年のことで、それまでは27系統と32系統でした。
荒川線のルーツは王子電気軌道、通称王電です。
明治44年、大塚駅~飛鳥山間が開業したのにはじまり、路線を伸ばしてゆきました。
開業当初の王子電気軌道は発電事業も行い、鉄道よりも収入が多かったそうです。
昭和17年、鉄道は東京市に吸収されて市電~都電となりました。
撮影当時、三ノ輪橋には王電の名残が見られたのです…
下町の停留所
むか~しの東京が、ここにはありました。 | |
「都電の顔」である6000形の存在も、この風情の大きな要素でした。 | |
電車乗り場へ通じる商店街。 かつての社名が未だ残されていました。 |
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都電と共に、町の繁栄を見守った社。 | |
ビューゲル転換時によく見られたスパーク。 |
「王電入口」の看板があったのは、昭和2年竣工の旧王電ビルでした。
この建物は現在でも存在しますが、件の看板は更新されてしまったようです。
時は流れています。
電車も、建物も新しくなってゆくのは当然のこと。
でも、人は皆、旧いものに心惹かれます。
それはノスタルジーだけではなく、
何か別の本能がそうさせているように思えてなりません。
子供の頃に見たようなお店…
時間が止まったままのような三ノ輪を後にし、ほぼ全線を移動して面影橋にやって来ました。
渋い石畳の路面区間があり、90°の急カーブからは学習院下の直線越しにサンシャイン60を眺められます。
ここで少し撮影しました。
直線を駆け抜け、神田川を渡る6000形
面影橋の名は、神田川に架かる小さな橋に由来します。
なんともロマンチックな名ですが、周辺は平凡な住宅街でした。
終点早稲田は、面影橋のひとつ先です。 | |
夕映えの路 |
夕飯の買い物かな?
陽が西に傾いた面影橋を後にし、飛鳥山へ向かいました。
公園にあるスカイラウンジから、夕景が狙えるのではないかという考えがあったからです。
後方に見えるのがスカイラウンジです。 | |
ガラス越しなので、条件は良くないですが… |
沈む夕陽…
遠く富士山を望む
日没後、茜色の空に富士山が浮かび上がりました。
中央のマンション屋上あたりですが、お分かりいただけるでしょうか?
モノクロ、標準レンズなので非常に見づらいですが…(・_・;)
この後、飛鳥山の歩道橋で夜景を撮影しました。
歩道橋上は思いのほか揺れます。
近くを大型ダンプが通ったり、歩道橋上に歩行者がいるともうアウト。
電車がいい具合で停まってくれても、歩道橋が揺れたらブレてしまいます。
何度かトライし、数枚をモノにしました。
交差点を通過する車の光跡が面白いですね。 | |
飛鳥山公園の噴水。 | |
往時の面影を垣間見る場面。 |
自動車と共存してこそ 都電らしい姿だと思います…
夜の公園を彩った噴水って 今もあるのでしょうか…?
【1977年 11月23日撮影】
都心のネオン街を進む都電、撮りたかったなぁ、と思います。
銀座、渋谷、新宿、エトセトラ…
廣田尚敬さんの作品で、
夜の銀座、クルマで電車を追いながら撮った写真があったと思います。
あの時代…
憧れるなぁ~
【使用機材】
ペンタックスMX
ペンタックスSP-F
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