立山砂防軌道



撮影日=昭和52年 8月 11日(木)









前日はまあまあの成果で安心したのか、この日は余裕かましています(笑)
ネガのコマを追うと、前日の『北アルプス』の次が下の写真たち…

朝の資材列車は撮らなかったのでしょうか(?_?)
なんと勿体ない…(+o+)


例によって千寿荘でのんびり朝飯を食べていたのか?
何故に早起きして資材列車を狙わなかったのか…?
タイムマシーンがあったら当時の自分に問いたいです(苦笑)



写真の様子を観察すると、人車列車が組成を終えており、
隣でモーターカーが出発準備をしています。
あの狭い車内に5~6人が乗り込み、発車してゆきました。
人車にも何人かが既に乗り込んでいます。
恐らく時刻は8:30~9:00くらいではないでしょうか?












人車を牽くのはTld-752。
モーターカーの番号は5-tm-1と確認できます。
モーターカーが出発しました。視察のお客さんでしょうか?
後方の木造建屋は営林署の車庫です。
モーターカーの後ろ姿は何とも間抜けで…(*_*)
ひとつめのスイッチバック。
発車を待つ人車列車












モーターカーを見送ると、車庫を物色していたようです。
木造車庫の加藤、堀川は撮っておらず、
メイン車庫の酒井が少し写っているだけでした。









若番のTld-6。昭和44年製か?
こちらはTld051とTld052の連番コンビ。
塗装したばかりなのか、車体がキレイですね。
反射でナンバーが判読できません…(+o+)













このあと、人車列車を撮影すべく軌道を歩きました。

撮影地は昨日『いいな!』と思っていた崖沿いです。


















人車が来ました(^O^)/

















崖沿いのSカーブを進みます…


















う~ん! いい感じ!



















走り去ってゆきました…







実に平凡ですが、キッチリと撮れて満足\(^o^)/










さて、この後は一旦千寿ヶ原に戻り、常願寺川対岸を歩いてゆきました。
川越しに対岸から狙おうという訳です。
昨日も2kmくらい歩き、撮影していたので、だいたいの場所は把握していました。




ただ、川の対岸だとトロッコが来るタイミングを掴みづらい…
軌道沿いならば音や気配で接近を感じられますが、川を挟んでいると難しいです。
警笛でも鳴らしてくれれば判り易いんですけれどね。




ただ耳を澄ませ、軌道のある方向を注視するしかありません。
撮り損ねたことは…
(?_?)
あったかしら?
記憶にはありません。











見通しのいい対岸を行くトロッコ。





一見上り列車のようですが、実は推進で下って来たシーンです。
…と言っても覚えていた訳ではなく、ネガのコマを追うと明らかに推進でした。
また、運転士も後方を向いています。



















続行で下って来ました(^_-)-☆



















未だ午前中なのに、人車が下って来ました。








前日も役所の人車が千寿ヶ原を出る前、ダイヤに無い人車が戻って来ました。
この頃、恐らく朝の資材列車と共に人車が上っていたのでしょう。
何処まで行っていたのかは知る由もありませんが、
前日とこの日では下りの時間帯が異なるため、折り返しの箇所が違うのかも知れません。



















林間に分け入ってゆきました。







撮影後、千寿ヶ原に戻ったようです。












対岸から見た千寿ヶ原構内。


















さっきの人車でしょうか?







対岸を歩いている間に追い越した?(笑)
速度も速くないし、スイッチバックで時間食うんでしょうね。












で、この後また先ほどの場所に戻っている???











(?_?)








う~む…
どのような行動だったのでしょう…?
対岸から千寿ヶ原構内を撮った後のコマが、この写真でした。
やはり戻っているのか…???














さっきと同じような写真ですが…(-_-メ)







こんなんでも、当時は一生懸命だったと思います。
もう少し工夫しろよ~
変化つけろよ~
面白くね~よ~
とも言いたくなりますが…(爆)















さあ、この後がもっと訳わからん行動です(・_・;)




小口川資材運搬軌道をご存知でしょうか?
ナローフリークの間では名の通った軌道です。


今でさえ有名な存在ですが、昭和52年当時は情報が皆無でした。
その存在を知ったのは、国土地理院の五万図です。

立山砂防軌道の撮影調査用に購入した地図に、
小口川沿いにうねうねと延びる軌道の記載があったのです。

そして思わせぶりな『資材運搬軌道』の文字。
ナロー鉄のツボをくすぐられる代物です。




















これが件の五万図です。
かなり年季が入っているので、少々見づらいかも知れません…。


当時、この軌道については分からないことだらけ。
林鉄の大御所Fさんに尋ねたことがありましたが、
『昔は馬で牽いていたらしいが、今は不明』
という答えしか返ってきませんでした。
これでは手掛かりにもなりません。


ならば行ってみるしかない…
そう考えたのは、至って自然な流れでした。






その日のことをハッキリと覚えていませんので、
曖昧なレポートとなってしまうことをご了承ください。

朝から立山砂防軌道を撮影し、地鉄電車で移動しました。
富山地鉄有峰口駅にて確認したところ、
資材運搬軌道の起点となる水須という場所へは、バス等は無いことが判明。
タクシーを使うほど裕福ではなかったため、仕方なく徒歩で向かいました。

駅から水須までは約4kmですから、1時間はかかったと思います。
地図と現場を照合しつつ、軌道があるはずの場所を探しました。

地図によると、起点は水須の部落から小口川を隔てた位置だと思われます。
そこからインクラインにて200m程登り、山間へと分け入っている…
…のはずなのですが…

インクラインは比較的見つけやすいはずなのに、それらしいモノは見当たりません。
それでも『ここ』と思われる地点から、獣道みたいなのが上方へ延びていたため、
とりあえずはそれを辿って登ってみました。
恐らくインクラインに並行した歩道だったのでしょう。
が、インクラインらしき軌道跡は見つけられませんでした。




かなりしんどかった、ということは覚えています。

汗だくで頂上に着くと、たしかに軌道があったような雰囲気でした。



そう、線路は無かったのです…(T_T)/~~~











頂上にあった小屋…





索道小屋か、インクライン用の巻き上げ施設?
なんとなくトロッコのニオイは感じました。






そして…











草むした路。







明らかに軌道跡だと思える路が続いていました。


ふと

『この先はどうなっているんだろう…』

との思いがよぎりました。



そして草むした軌道跡?を100m程歩いたでしょうか…
しかし次の瞬間、何だか訳が判らないくらいの恐怖感が湧き出てきて、
一目散に山を下りて行ったと記憶しています。








資材運搬軌道は過去のものだった。


当時はそう結論付けていました。








ですが、実際は違ったんですね~









発見の元となった五万図、実はとても旧いものでした。
地図には『昭和45年編集』とあります。

この地図をよく見てみると、立山駅は千寿ヶ原駅、有峰口駅は小見駅となっています。
旧駅名ですね。
両駅共に、昭和45年に改名されました。


ここに記載されている内容は、昭和45年以前のものということ。
数年間の隔たりがあるので、当てにならない部分も多かったのでしょうね。
実際に現地では地図に無い橋もありましたし。
でも、当時はそんなこと考えていませんでした(笑)


実は昭和52年当時、この水須から先、軌道跡と離れて並行する道が既にありました。
この地図上には未だ無い、工事用の林道だったと思います。
そして、その途中で小口川ダムの建設が昭和52年から始まりました。
道は更にその先、小口川第二発電所付近まで延びていたようです。



改めて五万図をチェックしてみましょう。
資材運搬軌道は水須付近からインクラインで上昇、その先は山間をうねうねと進み、
小口川第二発電所へと到達しています。
水須からの軌道(小口川下部軌道)はそこで途切れていますが、その先にも別の軌道があります。
二つの軌道の標高差は約240mといったところ、索道で連絡しています。
上部の軌道(小口川上部軌道)は等高線に忠実にクネクネと進み、小口川第三発電所へ至っています。

下部軌道は、水須と小口川第二発電所との間を結び、
資材運搬に使われていましたが、恐らく林道の開通と共に廃止となったのでしょう。
ただ、その林道がいつ出来たのかは不明です。
現在では林道小口川線という記載が地図にあるものの、
当時の工事用道路と同一のルートなのか否かは不明。
『馬で牽いていた…』という情報も不確かですし、
何から何までが分からないことだらけです。




上部軌道は…


(?_?)



その実態が明らかになるのは3年後、昭和55年のことでした。

その様子は別頁で。

乞うご期待!









『資材運搬軌道は廃止されていた…』

そう思い込み、ガッカリして山を下りて来たボク。
どういう経緯だったかは失念しましたが、
水須から有峰口駅まで、軽トラに乗せてもらったことを覚えています。




結局は無駄な探検(T_T)/~~~
何の成果も得ぬまま、千寿ヶ原に戻ってきました。







戻って来た時刻は記憶にないのですが、
多分16時とか、もう夕方だったと思います。













10-Tld753








構内では酒井が入換作業を行っていました。

枕木でしょうか?
材木を積んだ貨車を盛んに出し入れしていました。
誘導する旗振りのオジさんが妙に気合が入っていて、
なんだかおもしろくてニヤニヤ見ていたことを覚えています。








DL単機の前を走っています!
ポイントを切り換え、DLに乗りました(笑)
奥にある貨車を牽き出すようです。















材木の上で旗を振る気合オジさん(^_-)-☆















後退を誘導しています。
おー! 足取り軽いっすね~!
しがみつく姿も気合充分!
広い構内を所狭しと駆け回るSKW。
こういう時間って、平凡だけど幸せだったりして…♥















活気に満ちた構内でした。












構内で楽しんだ後、スイッチバックで下り列車を待ちました。

『そろそろ戻って来る頃?』
って判ったのでしょうか?

全く覚えていないのですが…(苦笑)













ピンがヤバいです…(+o+)












人車も下りて来ました。
続行の資材列車。面白い乗り方ですね~(^.^)
懐かしいボクのカメラたち&銀バコ…











山から下りて来た列車を全て出迎え、この年の撮影を終えました。

昨年に比べると、まあマシなシーンが撮れました。
しかし、未だ立山砂防の神髄には接近すらしていません。
モチロン満足はしていなかったでしょうが、
それなりの成果を得られた充実感はあったと思います。








DLたちは車庫に入り、構内に静寂が訪れました。

それでも、この場を去り難かったのか、幾枚か撮影しています。


















































































昭和52年夏、立山砂防軌道を初めてマトモに撮影出来ました。

今思えば、やり直したいことは山ほどありますが、
当時の自分としては、これで精一杯だったと思います。















印象に残った旗振りオジさん…











帰りは急行『能登』か『越前』だったかな…?
全く覚えていませんが、まあどちらかでしょう。



撮り鉄として、ナロー鉄として、
ほんの少しですが成長した18歳の夏でした。









(*^^)v









【1977年 8月 11日撮影】







ペンタックスMX



ペンタックスSP-F



マミヤC330 Professional F
















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