近畿日本鉄道 内部・八王子線



撮影日=昭和52年 8月 7日(日)





前日は近鉄北勢線を撮影し、確か桑名のビジネスホテルに泊まったような…
(・・?
この日もまた北勢線へ行き、僅かですが『走り』を撮影しています。
この時の行動は全く記憶に無く、記録も残していないため謎です。

内部線の起点、近鉄四日市駅に着いたのはもう11時半でした。
覚えていた訳ではなく、最初に撮った写真にホームの時計が写っており、
それで判断しただけなのですが…(・_・;)
撮影行動についても忘れていることが多いので(汗)、
例によってネガのコマを追ってゆくことにしましょう。



先ずは近鉄四日市駅。
ここではモニ211+モ231と、モニ241+モ214を撮っています。
さっき見送った211+231が進入する様子が写っていたので、
『そんなに長い時間居たのかなぁ?』
と思いましたが、西日野まで行って戻って来るまでは20分位だったのですね…
この後、211+231に乗り、西日野へ向かいました。









コンクリートに囲まれた始発駅
近鉄四日市駅










折り返しのひととき
本線の高架化で造りかえられた線路
軽便電車には似つかわしくない近代駅です。
昭和初期から走り続けた古豪電車
高架線の下に潜り込むような駅でした。








近鉄内部線は、近鉄四日市駅を出ると住宅街を縫って走ります。
途中、交換のために設けられた浜田信号所を過ぎると赤堀駅。
この先は徐々に緑が多くなってきます。
大きなS字カーブ、小さな川を渡る鉄橋、軽便電車はユサユサと進みました。
次の日永駅は八王子線との分岐駅です。
八王子線のホームは急カーブしており、国鉄鶴見線浅野駅のような雰囲気でした。
いい感じの駅でしたが、残念ながらその様子を撮影していません…











モ231の運転台
いかにも軽便らしいモ231の車内








八王子線は昭和49年の水害で廃止の危機に晒されました。
しかし地元住民などの存続要請が強く、昭和51年に日永~西日野間が復旧。
残念ながら、天白川沿いを走った西日野~伊勢八王子間は廃止されてしまいましたが…









人気の無い寂しい終着駅。
顔見知りの子供でしょうか?車掌さんが笑顔で迎えています。
間もなく発車ですよ~








以前は途中駅だった西日野駅ですが、
水害復旧後には全ての電車が折り返す終着駅となりました。

昔、鉄道ファン誌(だったっけな…?)で八王子線の記事を見たことがあります。
旧い街並み、川沿いをゆく電車、渋い雰囲気でした。
そのイメージを抱いて西日野駅に降り立った時、
それは木端微塵に打ち砕かれてしまいました。

周辺はガラーンとした寂しい場所。
西日野駅って川沿いにあったはずなのに、周りは田んぼだけ…
駅は当初あった位置よりも、100m程日永寄りに移ったそうです。

『想像していたのとは全然違う…』
そう思っていたことをよく覚えています。
撮影ポイントも見つからなかったのか、早々に西日野駅から撤収しました。










出発~♪






急カーブのホームを離れてゆくモ231です。
せっかく日永駅で降りたのに、独特な三角ホームの雰囲気を全く撮っていません…
(ToT)/~~~



日永駅からは徒歩で移動して撮影しました。
日永~赤堀間、そして浜田信号所周辺でも撮っています。











釣り人
日永~赤堀間








何が釣れるのでしょうか?
護岸工事が施されて川の景観は悪いですが、鉄橋はいいですね。
いかにも軽便らしい、か細いプレートガーターです。
そこへ渋いモ231が登場!
















S字カーブを可愛らしい二連が来ました。
電車の二連ではなく、モニ211が付随車のサ131を牽引しています。









理由は判りませんが、小刻みに編成が変化していました。
さっきまでモニ211とペアを組んでいたモ231は単行で登場、
その片割れのモニ211は、付随車のサ131を牽いて来ました。
モニ214と別れたモ241も単行で運用。
なんだか訳が分かりません。









今度はモ241の単行です♪
















モニ210型と同系異端児。
日永~赤堀間







この頃、内部線の主力はモニ210でした。
それに混じってモ231と241が居たのですが、
この二両とも元付随車、そして一形式一両の希少な車両でした。

松阪鉄道が電化される際、デ31型電車とフ21型付随車が新製配置されました。
そのうち、フ22という付随車がモ231のルーツです。
昭和27年、三重交通時代に電動車化され、モ260となりました。
三重交通松阪線が廃止となり、モ260は他の電車と共に内部線へ移されるのですが、
電圧の違いからモ260を残して全てが付随車化されました。
モ260だけは750V昇圧対策が施され、モ231となって残ったのです。
即ち、元松阪鉄道の電車唯一の生き残りということですね。

一方、モ241は四日市鉄道が昭和三年に導入したデ50型電車、60型付随車の中で、
ハ61という付随車から改造されました。
ハ61はデ50型と同じスタイルで、一形式一両の付随客車。
三重交通時代の昭和26年に電動車化されてモ240となり、近鉄編入時にモ241となりました。
ちなみに同系のデ50型は、後のモニ210です。

231は他の車両に比べて妻面が緩いRを描き、いい味を出していました。
当時、ボクは形式に拘って撮影してはいませんでしたが、
231だけは他の車両には無い、何となく違った雰囲気を感じていました。
241も含め、車両の詳細をちゃんと記録しておけば良かったと後悔しています。












離合する僚友
浜田信号所






浜田信号所は近鉄四日市と赤堀の間にありました。
周辺は住宅地。
信号所って、山間とか人家の無い処にあるというイメージですよねぇ…
なので住宅地にあると、なんだか変な感じです。

この信号所、現在は廃止されて存在しないとか。
当時は『浜田信号所』と聞きましたが、
ウィキなどには『南浜田信号所』と記載されています。

そして…
またもや編成に変化が(・・?
モ241はモニ229と、モニ211はモニ214と二連を組みました。
モ231とサ131は何処行った???
同じ二両編成なのに、何故車両の組み合わせを変えるのでしょうか…
(?_?)
謎です。









物干し電車
浜田(信)~赤堀間








民家をかすめて軽便電車が進みます。
線路端の洗濯物、電車の風でよく乾くんでしょうね。
バラストには靴まで干してあります(^◇^)
鉄チャンなら、こんな家に住んでみたい…(?_?)











線路際の布団干し、納屋の屋根には座布団?(笑)
新旧の建物が入り混じっています。
当時は内部線唯一だったモニ220型、229号車。













路地裏と軽便電車
赤堀~浜田(信)







住宅の狭間をゆく区間。
キレイな『走り』を撮るならば即パスする場所ですが、
ボクはこういったシチュエーションが好きでして…

こうして見ると、昭和の香りがプンプン漂う渋い建物が多かったですね。
現在はどうなっているのでしょうか…?










赤堀駅から電車に乗って移動します。
モニ214の車内、車掌さんの寄りかかる仕切の手前は荷物室です。
モニ214の前窓から覗き見た211の前照灯とナンバー。
朝顔カプラー❤
タブレット交換♪









赤堀からはモニ214+モニ211に乗りました。
運転台横の窓は昇降が自由で、ここを開けると連結器を見下ろせて楽しい♪
前や後ろの窓が開けられるって、他ではあまり無いですよね。










内部駅








かつては鈴鹿山脈の麓まで延伸する計画がありました。
簡素な改札口。
構内には検車場がありました。








終点内部駅にやって来ました。
西日野駅とは違い、軽便の終着駅という風情が漂っています。
ここには車庫と検車場がありました。
通常なメンテナンスはこの検車場で行いますが、
重要な検査や修理の場合、台車や機器をトラックで近鉄の検修工場へ運ぶそうです。

時間帯のせいか、電車が発着する頃でもホームは閑散としていました。
それがまた良いムードだったのですけれど…














モニ211+モニ214が出発してゆきました。












増結のため、モ231がサ162を連れてきました。
モニ21(左)に連結されるサ162です。
モニ212+サ162+モ231の三連が発車しました。








せっかくモ231の出番なのに、ちゃんと撮っていないというお粗末さ…
((+_+))
この三連を見送り、次の電車で移動し、
小古曽、追分のあたりで撮影したと思うのですが、記憶が…(・_・;)








モニ214+サ131+モニ211
小古曽~内部間
(※撮影地不詳でしたが、上野理志様よりご指摘をいただきました)








上の写真と同じ編成が戻って来ました。何で別の場所で撮らないの?(・_・;)
モ231を先頭にした編成が来ました。もっとちゃんと撮りなさいよ~(+o+)
小古曽駅
(※撮影地不詳でしたが、上野理志様よりご指摘をいただきました)
先頭はモ231なのに…ねぇ…(T_T)/~~~
泊駅でしょうか?






この日のモノクロ写真は、この怪しげなピン甘交換シーンで終わっていました。
これの次のコマは、もう翌日の立山砂防です。
なんとも中途半端な終わり方で、我ながら腹立たしい限りです(-_-;)

まぁ、それでも半日で内部線の雰囲気を僅かですが捉えることが出来ました。
実に軽便ムードたっぷりの路線ですね。
本当にもっと突っ込んで撮影すれば良かったと後悔しています。

内部線での撮影を終え、名古屋に出て夜行急行『むろどう』に乗って北陸へと向かいました。
今思えば、そういう移動の様子を見てみたい…
何で撮っていないの~?
(*_*)







【1977年 8月 7日撮影】







ペンタックスMX



ペンタックスSP-F














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1977.8.8 立山砂防軌道・他へ

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