近畿日本鉄道 北勢線



撮影日=昭和52年 8月 6~7日(土/日)





昭和52年の夏旅はナロー色が強いものでした。
銀河51号か347Mで東京を発ち、近鉄ナロー線を二日間撮影。
急行『むろどう』で立山入りし、千寿ケ原に滞在して立山砂防軌道、
そして東洋活性白土、更に親不知や青海の軌道を探索するなど、
ナロー病がかなり進行悪化?した様子です…(笑)

近鉄ナロー線は、期待していた以上のものでした。
北勢、内部、八王子線ともに手動扉の旧型車ばかりで、
その姿、様子には相当萌えました。
当時、鉄チャン界では下津井電鉄が「最後の軽便らしい軽便」と言われていましたが、
ボクの印象では近鉄ナロー線の方が「軽便らしい」風情を感じました。
下津井の場合、やはり風光明媚な沿線や佇まいが良かったのだろうと思います。
近鉄は郊外とはいえ、沿線の雰囲気はイマイチ。
なので下津井に軍配が上がった形だったのだろうと推察しますが、
車両、運転の面から見た場合、かなり「軽便度」は高かったはずです。
ナロー鉄であるボクが勝手に採点すると、
当時の下津井は70点、内部線は80点、北勢線は75点でした(^_-)-☆
内部線と北勢線の「差」は…
カプラーですね~
やっぱ、朝顔はポイント高いです。

さて、それだけ持ち上げた?近鉄ナロー線ですが、
撮影日の行動などは例によって失念してしまっています(苦笑)
特にここ1~2年で過去の記憶が所々抜けてきたように思います。
ボケの始まりかしら…?
仕方がないので、いつものようにネガのコマを追ってご紹介しましょう。











小さな鐘楼が見下ろす町。
民家の間をすり抜け、軽便電車がやって来ました。
国鉄関西本線、近鉄名古屋線をオーバークロスする鉄橋。
前後は急勾配で、電車は唸りを上げて登っていました。













この鉄橋の下が国鉄と近鉄本線です。
西桑名~馬道間





湘南電車の顔つきを彷彿とさせるスタイル。
これが元三重交通の三車体連接電車、モ4400です。
数年前に電装解除され、三連の付随車として使われていました。
この車両…
おー! ボクと同い年の昭和34年生まれ!
自分の親世代のモニ226に牽かれ、走り去ってゆきました。
当時唯一の自動扉? だったかな?













雑多な町並みとマッチした軽便電車。
西桑名~馬道間





旧いモニ220が牽いて似合うのは、同じ形状のサ150でした。
牽引される客車なのに、電車みたいな方向板を付けているのが可愛いです♥
こういう後ろ姿、意外と撮っていないんですよねぇ…
あ~もったいない…(+o+)













起点から一つ目、馬道駅の待合室です。
ホームに出てみると、ちょうど西桑名行きの電車が到着するところ…
阿下喜行、モニ224に乗って移動です。
何処の駅でしょうか?交換待ちです。
対向はモニ227がサ150を2両牽いて到着。
タブレット交換をして出発です!
貫通路が無いので、車掌さんは駅ごとに車両を乗り換えて移動。
またまたタブレット交換。
北勢線は翌年には自動閉塞化され、この光景は見られなくなったとか…














長閑な時間…
上笠田駅





電車の本数が多いのか、交換駅ごとに行き違うような気がします。
ここが何処の駅なのかを忘れていたのですが、
こちらのサイト様で確認できました。
(津島軽便堂写真館さん! よく拝見しています)
向うの踏切を渡る乳母車、大五郎が乗るような奴です(笑)
なんだかほのぼのと、素敵なシーン…(^_-)-☆












終点、阿下喜駅です。こじんまりとした駅舎と軽便電車♪
北勢線の線路末端…
いい時代の雰囲気が残っていた待合室。
構内には木造の車庫もありました。
その車庫の前に置かれたサ151です。
なんと!転車台が残っていました。
その向こうには製材所がありますが…







北勢鉄道時代、阿下喜まで開業したのは昭和6年のこと。
そして開通と同時に全線電化されました。
なので、ここ阿下喜駅に転車台があるのは不可解です。
かつて、蒸気機関車が活躍した時代があるのなら理解出来ますが、
阿下喜駅は開業時から電化されていたはず…

ちょっと調べてみたところ、どうやら後方の製材所と関連があるようです。
製材所への搬入時、ポイント代わりに使われていたという説があります。
上の写真では駅と製材所の間にコンクリート製の柵がありますが、
もしかすると以前は線路が直角に延びていたのかも知れません。
この時は
『あれっ?転車台があるなぁ…』
くらいにしか気にしていなかったので、これに関しては全く調べていませんでした。

しかし…








↓ ↓ ↓ ↓ ↓









この製材所内には軌道があったのです!
ゲージは計っていませんが、610mmくらい?






写真で見る限り、762mmよりは狭いような感じ。
もし762mmならば、転車台から通じていた線路なのかもしれません。
『おっ!軌道発見!ラッキ~』
くらいの軽い気持ちで撮影しただけでした。
ちゃんと取材すべきだったと後悔しています。
(ToT)/~~~














西桑名行き電車に乗り、上笠田駅に来ました。
旧い改札口と旧い電車。
構内での布団干し(笑)
模型で再現してみたくなるような駅ですね。
当時は日常的な当たり前の光景…
現在では懐かしいシーンになりましたね。















田園の鳥居
楚原~上笠田間













参道を辿ると神社がありました。
境内からも狙ってみましたが…中途半端ですね(ーー゛)














鎮守の森
上笠田~楚原間








この神社は護国神社だそうです。
「楚原 護国神社」で検索すると、様々な画像が出てきました。
現在、参道には立派な踏切があるようですね。
境内と線路の間にはやたらと柵が設置され、
更に北勢線の架線柱は太いコンクリート製になっており、
ずいぶんと景観が変わってしまいました。
まあ、電車も新しくなっていますから…
仕方ないかな((+_+))













参道
上笠田~楚原間






正面には石灰石掘削で山容が変わった藤原岳。
そして滋賀県境に連なる山々を望めます。
この周辺には撮影好適地が点在しているようでした。
もう少しじっくりと撮れば良かったかも知れません。










古典的な佇まいには旧い電車が合いますね。
ゾロ目登場!








上笠田~楚原間での撮影を終え、西桑名に戻って来ました。
上の二点はその途中、何処かで撮ったものだと思います。
もしかすると楚原界隈かも知れませんが。

西桑名駅、実は訪問当時に移転したばかりでした。
5月までの西桑名駅は、新駅から100m程先にあり、
その途中には90°曲がる急カーブが存在したそうです。
後年、そこの様子を先輩諸兄の写真で見ましたが、
軽便好きにはたまらない風情であり、見られなかったのが残念です。







国鉄関西本線に並行した新西桑名駅。
三か月前までは、この先にも線路が延びていたはず…













夕暮れ時
馬道~西桑名間






このあたりで6日の撮影を終えています。
翌7日は、何故か中途半端な写真しかありません。
電車に乗って何処かへ行き、坂道を登ってくる場面だけを撮っています。
その後、お昼前くらいからは内部線へ向かいました。










アップダウン
撮影場所不詳






う~む…
ここが何処なのか、サッパリ判りません。
坂の向こうから徐々に姿を現す場面を数枚連写しています。

このシーンだけを撮影し、西桑名に戻っているようです。
どんなつもりなのか、
タイムマシンで37年前に戻り、自分に聞いてみたいです(笑)










連結器と762mmの線路。
西桑名駅での機回し… ぢゃなくて電車回し?
改札口から見た関西本線のDD51。
降車客を待つ駅員さん。
サボ交換。
出発してゆく電車…
なんだか、いい雰囲気…
或る夏の軽便電車でした。







のっぺらぼうみたいな顔で異彩を放っていたモニ225。
聞けば、踏切事故で前面を大破したため二枚窓に改造されたとか。
運転席周辺だけがノーシル・ノーヘッダーになっているようです。
当時は変な電車だなぁ~と思っていましたが、
今となっては細部まで観察しておけば良かった…
なんて後悔しちゃっています。
この頃は撮り鉄的に発展途上で、少しずつマシな写真が撮れるようになっています。
しかし、まだまだ稚拙な部分が多いですね~
あ~情けないっ!(笑)





【1977年 8月 6/7日撮影】






楚原・護国神社にて。カッコつけてる怪しい17歳(笑)










【1977年 8月 6~7日撮影】







ペンタックスMX



ペンタックスSP-F














トップに戻る




私鉄&専用線目次に戻る




近鉄北勢線トップに戻る




1977.8.7 近鉄内部線へ

inserted by FC2 system