ゴールデンウイークの真っ只中に出かけた鶴見線。
この時が恐らく最初の訪問だったと思います。
ネガを追ってみると、海芝浦支線、大川支線、
そして本線でも少し撮影しています。
コマ数から判断すると、割と短時間の滞在だったのかな…?
あまり写真の点数がありません。
昔の撮影の仕方は今とは全然違い、要所しか撮れていません。
即ちカットに使うようなスナップ系が全然無い…(--〆)
鶴見線なんて環境と施設が独特なんだから、
もっともっと色々なシーンが撮れたはずなのですが…((+_+))
当時の鶴見線は、鶴見駅以外は全てが無人駅でした。
切符は車内で購入する他、駅前の店舗でも売っていました。
店販売の切符はバスの回数券みたいな様式で、
日付のハンコを押してミシン目で切るタイプのものでした。
10年くらい前まで二枚ほど残っていましたが、
切符は全てオクで処分してしまったので…
(*_*)
勿体なかったかなぁ…?
最初のコマはいきなりの記念撮影でした(笑) 海芝浦支線が分岐する浅野駅です。 この頃、カーブミラーで撮るのが好きだったのかな? (笑) |
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海芝浦駅です。 京浜運河にへばりつくようなホーム。 なんとも独特な雰囲気でした。 |
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海芝浦駅を後にした3両編成の電車。 停止線?上の二灯信号機は何でしょうか? |
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電車が来るまでの間、駅外れで仲間と戯れていました。 守衛サンからの指示で、あまり動けないもので…(汗) |
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Hゴム化で妙な顔つきになったクモハ73。 運河沿いの路をゆっくりと進みます。 新芝浦~海芝浦間 |
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本線終点の扇町駅です。 改札口には集札箱がポツンと… |
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周辺の工場従業員が多く利用するそうです。 日曜のせいか閑散としていました。 向こうにEF15?が停まっていますね。 |
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昭和という名の駅で降りました。 この頃に元号が変わるなんて想像もしていなかったなぁ… |
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昭和~扇町間の鉄橋です。 この界隈はかなり空気が澱んでいました… クモハ73は前面木枠窓が一番ですね~ |
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同じ場所ですが… これもHゴムで顔つきが変わった奴… (*_*) |
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なんだか記念写真が多い… (笑) |
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大川支線の終点、大川駅です。 武蔵白石~大川間は、たったひと駅だけの支線。 クモハ12が単行で活躍していました。 貴重な17m車の生き残りです。 |
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運河に架かる鉄橋。 ガーターで足回りが…((+_+)) |
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しかし、めげずに撮っています(*^^)v |
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件のガーター鉄橋でも記念撮影(笑) |
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何分か後、クモハ12が走り去りました。 長閑ですね~ |
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おっと… タイミングがちょっと…((+_+)) |
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ネガの劣化? 画面の一部が霞んでしまいました… 昇降式遮断機ですね。 工場門の前にあった踏切だと思います。 |
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武蔵白石付近でしょうか? フェンスの向こうには貨車が停まっています。 |
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撮った場所を全く思い出せません… 武蔵白石駅? 日本鋼管所有のDLでしょうか…? |
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ボクは一番右… 若いなぁ~ 当時16歳だもの! (笑) |
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鶴見駅です。 左下が東海道本線。 |
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車止めは枕木だけ?! |
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ブレてしまいましたが…(・_・;) ダブルスリップと変顔クハ79の取り合わせ! |
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屋根に覆われた鶴見線鶴見駅ホーム。 この雰囲気も独特なものですね。 |
【1976年 5月 2日撮影】
海芝浦駅は東芝の工場敷地内にありました。
降りた途端守衛が出て来て、血相変えて訪問の目的などを聞かれたような…
『電車を撮りに来た』と伝えると、すこし表情が穏やかになったという記憶があります(笑)
なんだか変わったところだなぁ、というのが第一印象(*_*)
建物は撮影厳禁、電車撮るなら新芝浦方の外れに行きなさい…とのお達しでした。
そういう訳もあり、限られた場所での撮影となったのです。
現在の状況を調べてみると…
なんと改札から出られない!?
規制が厳しくなったのでしょうか?
いずれにせよ、当時は今に比べれば穏やかだったようです(*^^)v
ペンタックスSP-F
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