昭和46年 11月 7日(日)
亀山機関区/1
小学六年生の後半、鉄チャン活動が活気を帯びてきます。
何故か10月は休止していたものの、11月に入ると突如活発に!
なんと、11月全ての日曜日に関西本線へ出かけています。
その割にマトモな結果が残っていませんが…(T_T)/~~~
先ずは亀山機関区。
当時は未だC50が入換用として残っていました。
が、加太を通り過ぎて機関区見物とは(*_*)
まぁ、ビギナーですからね、仕方ない…(笑)
東海道本線で草津まで来ると、早速D51が目に入りました。
チラ見しながら草津線の気動車に乗り込みます。
柘植までの間、何度か蒸気機関車を見かけました。
この頃は貨物列車も多かったのでしょうね。
柘植では駅弁を買ったような覚えがあります。
特徴の無い幕の内でしたが、駅弁初体験なので印象に残っています。
亀山機関区については記憶がほとんどありません(・_・;)
C50は、154号機が客車を入換作業していました。
もう1両の109号機は離れた操車場に居て、
列車の車窓から見ただけにとどまりました。
C50を撮ったのは、これが最初で最後。
ほんの僅かですが、貴重な経験となりました。
草津駅で見かけたD51です。 入換作業中でしょうか? |
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この頃の草津線には貨物、旅客の運用がありました。 |
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途中駅で追い抜いたC58の貨物列車。 信楽線の列車でしょうか? |
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近江鉄道のモユニ10です。 比較的後年まで残ったようですが。 |
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当時はNHKドラマ『春の坂道』が放送中。 巷は柳生ブーム?となっており、 国鉄も便乗して、こんなヘッドマークを付けていました。 何のことはない定期の普通列車なのですが(笑) |
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亀山へ向かってキハ35編成が疾走! |
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関駅で交換した貨物列車。 加太越えは大半が後部補機付きでした。 |
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僕らの列車と交換し、恐らく出発するのでしょうね。 猛然と黒煙を上げて準備万端か。 この先は急勾配が待ち受けていますから… |
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亀山の構内でC50 109発見\(^o^)/ |
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こちらはD51重連。 後部補機付きは当たり前でしたが、重連は…? 列車ではないのかもしれません。 |
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異形式の同僚たちがひしめいていました。 今見ると、本当に旧き善き時代ですね。 |
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C50 154が来ました。 これから方向転換です。 |
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C50型のラストナンバー。 梅小路の動態保存機にリストアップされていたものの、 急遽C61 2と入れ替えになったとか… 現在は関で保存されている模様です。 |
【1971年11月 7日撮影】
目的地に向かう途中なのに、やたらと蒸気機関車を観られた時代でした。
それって、とても贅沢なことですよね。
晩年の北九州や北海道でも似たようなことはありましたが、
やはりレベルが少し違うような気がします。
オリンパスペンS
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