昭和46年 4月25日(日)
梅小路機関区




かつての梅小路機関区には多種のパシフィック機が所属していました。
C51、C54、C55、C57、C59など…
歴代のパシフィック機の中で、ラストを飾ったのがC57でした。


二週間前に初めて梅小路を訪れた時、C57たちの終焉を知らされました。
そのことを教えてくれた機関士さんは

『25日が最後や お別れ会やるからな、来たらええわ』

とも言ってくれました。



当日、京都へ向かう電車の車窓からC57の姿を発見!
最初に見かけたときと似たようなシチュエーション…
最後の日に同じようなことが起こるとは、何かの巡りあわせでしょうか?

























向日町運転所のC57 127です。
東海道緩行線の車窓から撮りました。
最初にC57を見かけた時もこんな感じ…
















機関区へ向かう途中で見かけた汽車。
C57 39牽引、山陰本線の列車です。
ベルリーナ、サニーが懐かしい!

















車窓から見かけたC57 127が帰区。
サイドビューが美しいですね。



















ゆっくりと機関庫へ入ります。






























マスコット的存在だったC11 96です。

















ラストパシフィック+αが一堂に会しました。
運用に就いているC57 39が不在ですが。

























ヘッドマークを掲げたC57 5。
主役のオーラを発していました。


















クラの中で整備、手入れが施されます。
















扇形機関庫に並ぶ姿はサマになります。
C57がこれだけ並ぶと壮観\(^o^)/




























機関士さんの思いも複雑だったでしょう。




















それぞれの『最後』を演出したコンビ。





























C57 5にしがみつく11歳11ヶ月の僕(笑)


【1971年 4月25日撮影】





機関区でのお別れ会、鉄チャンは意外と少なめでした。
この後、京都~園部間に『さよなら列車』が運転され、
往路はC57 5 がヘッドマークを掲げて牽引したということです。

実は最終の蒸気運用、翌26日だったという記録が残っています。
京都~園部間の普通旅客列車をC57127 が牽引し、
セレモニーもなく地味な最後を飾ったそうです。









オリンパスペンS






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