昭和46年 4月11日(日)
梅小路機関区




『新快速って知っとるけ?』

『おう! なんや、むちゃむちゃ速いらしいな』

『新大阪にも停まらへんらしいで』

『おもろそうやから乗りに行こか』


という会話をしていた春休み。
本当に”新快速”に乗ろうと大阪駅にやって来ました。


京都~西明石間に運転されていた”新快速”は緩行快速と同じ113系でしたが、
関西では珍しいスカ色で、且つヘッドマークを掲示していたので異彩を放っていました。
途中停車駅は大阪、三宮、明石だけという徹底ぶり。
複々線区間では並走する特急を抜き去ることもあり、話題になっていました。



『おおっ! ほんまに新大阪通過したで』

『よう飛ばすなぁ 脱線せぇへんかなぁ』

などと騒いでいるうち、”新快速”は京都に接近していました。


車窓左手には向日町運転所が広がっていました。
華やかな優等列車の車両たちが並ぶ壮観な光景。
車窓に釘付けだった僕らでしたが、次の瞬間…

美しく流麗な機体にスチームをまといながら
ゆったりと後退する蒸気機関車が目に飛び込んで来たのです。

『うぉーっ! あれ シゴナナちゃうか?!』

細く長いボイラー、大きな動輪、角ばった大きいデフレクタ、
見慣れたD51とは明らかに異なるプロフィールでした。


数日後、僕らはC57を見ようと梅小路機関区を目指しました。
京都駅から歩いて歩いて、たぶん30~40分はかかったと思います。

たどり着いた梅小路機関区は見通しがきき、広々とした印象でした。
いきなり目についたのは48635の廃車体と休車のC57 190、
火は入っているものの動く気配のないC11 96でした。

ちょっと心配になったものの、向日町側にケムリが上がっているのが見えて一安心。
近づいてみると、3両のC57が連なっていました。

間近で見たC57は本当にカッコよかった\(^o^)/
中でも1m75cmの大きな動輪には圧倒されました。
D51は1m40cmですが、その差以上に大きく感じたように記憶しています。
























C57四次型の190号機、
手前は48635です。

















第二種休車? それとも廃車?
ナンバープレートを外された機関車を
この時初めて見たんだと思います。
















形式入りプレートがカッコいいですね。
石炭を積んだばかりのようです。

















C57 15の前にDF50が停まっています。
この並び順で出区するのでしょうか…?


















この一角だけは蒸機全盛時代みたい…
活気に満ちていますね。
パッと見に三重連のように見えますが…


















実は最後尾のC57 5は離れていました。
大きな前面プレートが特徴ですね。


















カッコいい形式入りプレートです!(^^)!
しかしその後豊岡に転属すると、
一般タイプに換装されてしまいました。


















細いボイラー、大きなデフ、
本当に美しいスタイルですね。





















後方に鉄チャンらしき姿が見えます。





























春の空とC57 15の顔。


















山陰本線の築堤から撮影しました。
蒸機現役時代最後の様子ですね。



















日曜日なのに学校の名札付けてる (笑)
当時小学六年生(^O^)/


【1971年 4月11日撮影】








昭和46年4月、梅小路機関区には6両のC57が稼働状態にありました。
山陰本線の京都~綾部間で旅客列車を牽き、活躍していたのですが…


『ちゃんと写しとくんやで。 機関車、再来週で終りやからな』

そう教えてくれた機関士さんの言葉で、C57たちの最期が迫っていたことを知ったのです。


『そら殺生やで…』

出会った途端の悲しい知らせでした。







オリンパスペンS






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