昭和46年 3月24日(水)
吹田第一機関区




『吹田のD51』と言っても、この頃実際に稼働していたのは竜華機関区の所属機でした。
城東貨物線の貨物列車を牽引し、折り返しの転回と整備のため吹一区に来ていたのです。
吹一区の所属機はD51が3両残っていましたが、全て休車でした。


吹田第一機関区での蒸気機関車見物は楽しく、
休日にはお袋に弁当を作ってもらい、日がな一日過ごしていました。

ある日、線路際で弁当を広げていると機関区の職員さんが
『あそこで食べたらええわ』
と言って、側線に留置してあった救援車に誘ってくれました。
救援車と言っても車内は通常の客車のまま。
客車内で弁当を食べて、ちょっとした旅気分でした。
その車両の形式など、詳しいことが分からず写真も撮っていないのが悔やまれます。



城東貨物線の蒸気機関車は昭和46年3月24日限りで終わり…
と聞き、最終日にお別れに来ました。
後で知ったことですが、
翌25日にはC58+D51+DD51の最終列車が運転されたそうです。

当時はそんなことも知らず
『今日で最後やねんなぁ~』
なんて思っていました。
































機関庫で眠っていたD51 25(吹一)です。
『ナメクジ』と呼ばれる初期型。
吹一区には3両のナメクジがいましたが、
全てが休車で冷たくなっていました。














煙突とドームが一体型となっています。
真上から見るとナメクジのような形?
その辺が名の所以だとか…
煙室扉ハンドルが磨き出しでキレイ!

























これもナメクジの51号機。
D51の51番、面白い数並びです。

















DE11と並んだD51 906(竜)です。













電気機関車の車庫が近くにありました。
これが吹田第二機関区?
EF66のトップナンバーがいました。

























操車場からD51 703(竜)が来ました。
これから折り返しの整備です。


























給水と整備が行われています。

















転車台で方向を変えます。

















方向転換後、バックで戻ってゆきました。




























D51 906が出番のようです。
























目前を通り過ぎる時、
ゾクゾクっと電気が走るような感動が…
蒸機の魅力にハマってきました(笑)


























操車場へ向かって走り去りました。


【1971年3月24日撮影】






自分にとって吹田は特別な場所です。
鉄チャン魂が開花した処、いわばルーツの地です。


20年くらい前、同窓会で大阪へ行った時のことです。
吹田で昔日の名残を車窓に探し求めましたが、
無情にもだだっ広い空き地が広がっていただけ。
あの操車場は消え去っていました。

たったひとつ、吹田第一機関区の佇まいが残されていたこと。
これだけが救いでした。

しかし、そんな佇まいもその後なくなってしまったとか。
時は流れているのですね…

現在の様子は…?
怖くて確認したくありません(T_T)/~~~









オリンパスペンS







トップに戻る




蒸気機関車目次に戻る




次のページへ

inserted by FC2 system