昭和46年 2月21日(日)& 28日(日)
吹田第一機関区





小学校高学年の頃、意味もなく電車に乗って遊んでいた時期がありました。
行先は梅田あたりが多かったかな?
仲間と連れ立って、梅田の百貨店を徘徊していました。
僕が住んでいた摂津富田には国鉄と阪急の駅があり、
行きは阪急、帰りは国鉄…みたいなルートで楽しんでいました。
子供の初乗り運賃が10円の時代ですから、
大阪往復でも100円あれば足りたのではないでしょうか…


ある時、東海道緩行線の車窓から蒸気機関車を発見。
それは操車場ではなく、機関区でした。
『あそこやったら蒸気機関車が間近で見れるんちゃうか…』
衝動的にそう思った記憶がかすかに残っています。

何日か後、岸辺駅から機関区へ向かって歩きました。
何処をどうやって歩いたかは覚えていません。
それでも辿り着きました。

そして、初めて蒸気機関車を目の前で見ることが出来ました。
かなりのインパクトだったに違いありません。
一気に蒸気機関車の魅力に引き込まれていったのですから…


それから5~6度くらい吹田第一機関区へ行きました。
時には仲間と、時には一人で行って蒸気機関車を眺めていました。
『その姿を撮りたい』という欲望も生まれ、
親父からオリンパスペンを借りて撮影しました。
”撮り鉄”デビューですね(笑)


当時は蒸気機関車の運用など知る由もありませんでしたが、
適当に訪れても必ず姿を見ることが出来ました。
構内を勝手にウロウロしていても咎められることもなく、
至って自由に見物出来た、善き時代でした。




























DLと重連で入庫して来たD51 393です。
この頃の吹田第一区に出入りするのは
全てが竜華機関区所属のD51でした。
1971.2.21
































この時もDLと重連で来ました。
カマボコドームのD51 1045です。





















くわえ煙草で旗振り誘導。
のどかな時代でしたね。




























フレーミング、光線、
まったくもってお構いなし(苦笑)
超ビギナーでしたから…






















DLと三重連で休憩中。
D51 879とD51 1045です。


























運転台を覗いてみました。
強い憧れを感じたように記憶しています。
機関車の熱気、芳香…
全てに魅了されてゆきました。



















転車台に乗る姿には胸躍りました。
機関車が移動する度、
走って追いかけていました。






























給炭塔下から出発してゆくD51 1045です。





























次の仕業に向けて出区してゆきました。
見送る僕らの影が印象的…



【特筆なき写真は1971年2月28日撮影】








こうして蒸気機関車に魅せられていったのですが、
楽しい日々は長くは続きませんでした。


機関区の人から
『ぼん、3月で蒸気はおしまいやで』
との言葉が…


ショックでした((+_+))







オリンパスペンS






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